[HOME]  >  [神社記憶]  >  [四国地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


鴨神社
かもじんじゃ
徳島県三好郡東みよし町加茂字山ノ上3250  Zenrin Data Com Maps display !!


二葉葵

式内社 阿波國美馬郡 鴨神社
旧郷社

御祭神
別雷命 市杵島姫命 品陀和気命 天照皇大神

合祀 式内社
阿波國美馬郡 横田神社
阿波國美馬郡 田寸神社

徳島県三加茂町(現東みよし町)にある。
三加茂駅から西へ1Kmほど進み、
町役場の辺りで、加茂谷川に沿って1Km南下した場所にある、
丘の上に鎮座。

境内入口の鳥居は北側にあり、参道の階段を上ると境内。
境内の南側にも入口はあるようだが。

階段を上ると、右手に東向きの社殿がある。
社殿の正面、階段を上って左手に、石の垣に囲まれて
葵の葉が祀られている。
あるいは、そこで育てられているのかもしれない。
葵という植物を、初めて眼にしたが、
その葉は、葵の紋そのままの形で、少し感動した。

境内には、朱の燈籠が並び、緑の木々の中で、非常に鮮やかだった。
境内の様子や社殿の佇まいを見ていると、
女性的な雰囲気が感じられたのは、何故だろう。

創祀年代は不詳。
社伝によれば、
貞観二年以前に、京都上賀茂神社から勧請された神社。

「百錬抄」によると、上下の賀茂神社に対し、
寛治四年(1090年)頃に、御供田六百余町が寄進されたが
当地にも、その寄進された御供田があったという。
その後、当地は福田荘となり、上賀茂神社の社領となったという。

明治の神社合祀によって、
当社境内には多くの神社が合祀されている。

式内・田寸神社の論社である、山根の田寸神社も合祀されていたが、
元の地の小祠に祀られている。
同じく、式内・横田神社に比定される、中村の横田神社も、
元地に小祠が残っている。

拝殿の左右に、それぞれ3社の境内社がある。
左には小祠が三つ並んでいるが社名は未確認。
右の三社は、右から、国瑞彦神社、天神地祇社、豊受大神宮社。

国瑞彦神社には、以下の26社が合祀されていると記されている。
鎮守神社・幸神社・宇賀比神社・八幡神社・若宮神社・八将神社・
山塚神社・木神社・友與志神社・市坪神社・荒神社・高良神社・
市杵島姫神社・熊丸鎮守神社・杉尾神社・松尾神社・毘沙門神社・
古塚神社・稲荷神社・藤木神社・厳神社・若宮神社・奥森末神社・
日吉神社・日之出神社・会川八幡神社。

また、天神地祇社には、以下の27社が合祀されている。
奥成山神社・熊丸山神社・谷奥山神社・秋葉神社・奈良神社・
三島神社・愛宕神社・山神社・出雲神社・両皇神社・神通神社・
神通龍神社・神通大山祇神社・神通愛宕神社・速大神社・妙見神社・
榧森神社・天満宮・荒神社・蛭子神社・大谷山神社・井神社・
境神社・金毘羅神社・伊勢神社・奥谷神社・奥森神社。

『式内社調査報告』には、
国瑞彦神社に35社、天神地祇社に19社合祀されているとある。


社域

鳥居

参道の階段

境内

本殿

社殿

境内社

社殿

社殿前の葵

葵の葉

御祭神 別雷神 市杵島姫命
品陀和気命
天照皇大神
当社は延喜式内社にて鎮座の年代 は不詳なれど貞観庚辰二年以前 の創建にして京都上賀茂神社 の勧請所である
爾来壹千百四拾年余福田庄(旧加 茂村)の平和と五穀豊穣を守護 し氏子の尊崇を聚め今日に至る
旧阿波藩主蜂須賀家は特に厚く 崇敬せられ天正年間より維新初 年まで毎年雷除・武運長久の 祈願を奉呈した

−社前案内板−



【 鴨神社 (東みよし町) 】

ボーダー




四国地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
徳島県
阿南市
阿波市
海部郡 海陽町
吉野川市
三好郡 東みよし町
三好市
勝浦郡 勝浦町
小松島市
徳島市
那賀郡 那賀町
板野郡 上板町
板野郡 板野町
美馬郡 つるぎ町
美馬市
名西郡 神山町
名西郡 石井町
名東郡 佐那河内村
鳴門市

高知県

愛媛県

香川県