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西寒多神社
ささむたじんじゃ
大分県大分市寒田1644
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式内社 豊後國大分郡 西寒多神社(大) |
10号線を西へ入るが、分かりにくい。
大分大学の裏あたりだと思うのだが、なかなか見当たらず。
道を聞きながら、ようやく到着。
境内入口は北西向き。
川を渡って参道を進むと境内。
中央に大きな拝殿があり、後方に流造の本殿がある。
山頂に奥宮がある、 が今回は断念。
創祀年代は不詳。
社伝によると、神功皇后三韓征討後の凱旋のおり、
西寒多山に御幸して国家を叡覧し、
その証として一本の白旗を立て置き給い。
土地の者は、これを敬い籬垣を結んで尊崇した。
応神天皇九年(278)四月、武内宿禰筑紫下向のみぎり、
勅によって西寒多山上に社祠を営んだと云う古社。
江戸時代には、柞原八幡宮と混同されていたようだが、
豊後国一之宮として崇敬された大社で、もと國幣中社。
境内左に「旧参道」らしき小道がある。昼なお暗き道で、怪しい雰囲気。
門神として繰生社が祀られており、何かが建っていたような跡がある。
境内に観音堂があり、その横に多くの神社をう合祀した境内社。
合祀されているのは、御星社、保食社、龍王社、貴船社、歳神社、
愛宕社、高尾社、金刀比羅社、天満社、竹内社、九一郎社。
境内 |
拝殿 | 本殿 |
多くの神社をう合祀した境内社 | 校倉 |
旧参道に門神・繰生社 | 何かがあった跡 |
社務所横の厳島神社 | 伊勢社の鳥居と雑草の小道 |
旧国幣中社 豊後一ノ宮 西寒多神社御由緒 西寒多大神(天照皇大御神) 伊弉諾大神 伊弉册大神 大直日大神 神直日大神 八意思兼大神 軻遇突智大神 大歳大神 倉稲魂大神 御由緒 創始は遠く応神天皇九年(西暦二七八年)四月武内宿禰公勅命を奉じて西寒多山(現本宮山)上に宮殿を建立し後に大友十代親世公が応永十五年(西暦一四〇八年)三月に社殿を現在地に遷し今日に至る。尚延喜の制には式内大社に列し豊後の国の一ノ宮として国司をはじめ武将の信仰特に大友能直公大友宗麟公の尊崇あつく、明治四年五月十四日国幣中社に列格。大分県内では宇佐神宮につぐ神社として皇室、国家をはじめ国民の崇敬いよいよ深く現在神社本庁別表神社として尊崇をあつめている。宝物として宗麟公愛用の印章をはじめ大友能直公、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等の古文書を有している。 −境内由緒より− 旧国幣中社豊後一ノ宮西寒多神社略記 一、鎮座地大分市寒田(そうだ)一六四四番地 二、御祭神 西寒多大神(ささむたのおおかみ)、月読大神、伊弉諾大神、伊弉冊大神、大直日大神、神直日大神、八意思兼大神、大歳の大神、倉稲魂大神、軻遇突智大神 三、由緒 創祀は遠く応神天皇九年西暦二七八年四月に武内宿禰勅命を奉じて西寒多山上に宮殿を建立すとあり。 延喜式内の大社として国司をはじめ武将の信仰あつく、とくに大友能直公、宗麟公をはじめ代々の尊崇厚く、応永十五年(一四〇八年)三月、大友親世公社殿を現在地にうつし、家内安全、婚姻、学業、農業、食物、厄除、交通安全、消防の守り神として国民の崇敬いよいよ深く、明治四年五月十四日、国幣中社に列格、豊後の国の一の宮として皇室及び国家の優遇をうけ宝物として宗麟愛用の印章四個、大友能直、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の古文書を有し、現在別表神社として尊崇をあつめている。 四、主なる祭典 元旦祭一月一日、元始祭一月二日、厄除星祭二月一・二・三日、祈年祭三月十五日、例祭四月十五日、ふじまつり大祭四月二十九日より五月五日まで、勧学祭五月五日、大祓六月三十日、夏越祭七月最後の日曜日、新嘗祭十一月二十三日、大祓・除夜祭・古札焼納祭十二月三十一日、月次祭毎月一日、神幸大祭三年目毎、御神衣祭(特殊神事)三十三年目毎に御祭神の御神衣を新調する式年大祭、初宮詣、厄除、交通安全、入学祈願など毎日受付 五、境内 神苑二七、四五七平方米 ふじ樹齢四百五十余年、幹径一米、棚の広さ三百三十平方米、花房一、五米におよぶ稀有の名木と数百株の平戸つつじ。春の新緑、秋の紅葉は荘厳な社殿とともに清遊をかねた霊地である。なお本宮山奥宮まで六キロの登拝路は一日の家族ハイキングコースとして快適である。 六、参拝順路 JR大分駅下車国道十号線を南に府内大橋経由軒田橋右折二キロ大分バス定期便トキハ前より乗車、ふじが丘行きふじが丘南下車徒歩八分、大分バス定期便山一証券前より乗車、西寒多行き終点下車 −『平成祭データ』− |
【 西寒多神社(印刷用ページ) 】