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淺井神社
あさいじんじゃ
富山県高岡市石堤3587  Zenrin Data Com Maps display !!


抱瓢

式内社 越中國礪波郡 淺井神社
旧郷社

御祭神
水波能女命
合祀
天照大御神 菊理媛命 少彦名命 天滿天神

富山県高岡市にある。
西高岡駅の北西3Kmほどの石堤。
道路脇に鳥居と参道が続き、金山の南麓に鎮座している。

境内は緑が多く、瑞々しい雰囲気と空気。

社伝によると養老元年の創建。
川端の宮とも呼ばれており、
五位庄五十三ヶ村の惣社であったという。

社名や祭神が示すように、水に関わる神徳を持つと思われる。
五位庄の農業の守護神だったのだろう。

式内・淺井神社の論社だが、同じく論社である赤丸鎮座の淺井神社とは
5・600mほどの位置に対峙しており、
式内論争が激しかったらしい。

合祀の4柱は昭和になって合祀されたもの。

神紋は、めずらしい抱瓢。
丁寧に紐まで付いた図案が、境内の神馬像に刻まれていた。


社号標

鳥居

参道

境内

神馬像の神紋

社殿

五位庄
五十三ヶ村
惣社淺井神社畧誌
鎮座地富山縣高岡市石堤字中村三五九九番地
旧西砺波郡石堤村字石堤
祭神水波能女命 みづはのめのみこと
由緒養老元年三月創建
天平寳字三年十一月二十四日東大寺開 田砺波郡石粟村営施入田より神領一段を 献つる
嘉祥元年八月越中守和氣豊永参向 官幣を献つる
文徳天皇仁壽三年三月春日朝臣雄継 神田六段を献ず
南北朝時代金剛寺學頭禅恵當地に来 り惣持寺再建す宗良親王を始め忠臣 武将多く来り回天の事業達成の爲 参拝祈願の事あり
五位庄領主中山治部左ヱ門國松社運興 隆の■畫策するところあり
延寳六年金澤藩主前田綱紀式内神 社調査の爲参拝あり以来藩命により 祈雨祈晴五穀豊穣百姓安堵の祭事 を行ふ
元和年間大百姓長四郎十一面観音毘沙 門天八幡大菩薩の三像を合せ祀るに及ん で論争あり
明和元年五月藩命により神璽月野 ■■氣神社に借座ありたるを十村 五十■篤好等の努力により復座あ ■■
明治十四年郷社に列せられ後神饌 幣帛料供進の神社に指定せらる
■部分はよく読めなかった文字

−境内案内−



【 淺井神社 浅井神社 (高岡市)(印刷用ページ) 】

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