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速川神社
はやかわじんじゃ
富山県氷見市早借字滝尾880  Zenrin Data Com Maps display !!


五三桐


十六菊

式内社 越中國射水郡 速川神社
旧村社

御祭神
瀬織津比賣命
合祀 稲倉魂命 菊理媛命 大山咋命

富山県氷見市にある。
氷見駅の西10Kmほどの早借に鎮座。
64号線と300号線が合流する地点から300号線を東へ進み、
上庄川を渡って早借へ。早借でさらに上庄川支流を渡ると参道入口の鳥居がある。
鳥居の向きは南向き。鳥居の脇には「村社 速川神社」と刻まれた社号標。
境内は滝尾山と呼ばれる小山上にあり、
鳥居をくぐって狭い道を300m近く登って行く。
境内入口に鳥居があり、鳥居の前には駐車スペースもある。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、開けた境内。
あまりにもあっさりした感じだが、昭和六十年発行の『式内社調査報告』には、
社地には椎の古木が多く繁茂し、中には朽ちて倒壊したものもあるとあり、
最近、それらの木々の伐採を行ったのだろう。
社殿の色もまだ浅い色をしていたので、修築されたものだろう。

参道正面には堂々とした社殿。
拝殿はお堂のような感じの瓦葺入母屋造。
拝殿の後方、少し高い位置に銅板葺流造の本殿がある。
拝殿の扉には桐紋と菊紋の彫刻。
拝殿扁額には「速川神社」と記されている。

参拝は秋十月の晴天の日の朝8時頃。
境内の向きは覚えていないのだが、影の方向から考えると南向きかと思う。

創祀年代は不詳。
早借(はやかし)と速川(はやかわ)の類似から、
式内社・速川神社の論社とされる神社。
久目川(今の上庄川)の守護神として、近隣八ケ村
(早借、上田、谷屋、新保、小窪、田江、小久米、日詰)の
総社として崇敬された古社。
滝尾山の鎮座し、滝尾八幡社とも称されていた。

天正の頃までは早借領主・岩田采女の祈願所として
社領二百五十石を寄進されたという。
ただし『式内社調査報告』ではこれを否定し、
当社とは別に岩田采女の祈願所である岩田八幡宮
(早借八幡宮のことか)が存在するらしい。

中世には神仏習合により山中に四十八坊あり、
神官社僧が数多く奉仕していたが、上杉謙信により焼かれ
社殿宝物は灰燼に帰し、神官達も退散した。

昭和四年に稲荷社・白山社・日吉社を合祀した。


参道入口

境内入口

鳥居

参道階段

境内

本殿

社殿

拝殿の扉に桐と菊

社殿扁額

境内

延喜
式内社
速川神社の由緒
 瀬織津比賣命は、従来 現地鎮座 速川神社の祭神にして當社速川神社は 延喜式内の社にして久目川(今の上庄川) の守護神として尊崇され、 川岸村落早借等八ケ村の総社として、 天正年間まで早借の領主 岩田采女(子孫今に金沢市に在住) の祈願所にして社領二百五十石を寄進 神官・社僧も数多く奉仕せしも 兵乱度々に及び社殿等も焼失し社人も退散せり。
 宝物中には延喜時代の作、白銅鏡一面と 神道卜部良連書の速秋津彦命及猿田彦命の神号掛軸二巻を保存す。
 倉稲魂命(早借字金平二、三四九番地稲荷社の祭神) 菊理媛命(早借字江尻一、〇三〇番地鎮座白山社の祭神) 大山咋命(早借字土窪二、三三二番地鎮座日吉社の祭神) は昭和四年九月十六日合祀す。

−参道由緒石碑−



【 速川神社 (氷見市)(印刷用ページ) 】

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