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杉原神社
すぎはらじんじゃ
富山県富山市婦中町田屋清水田2316  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 越中國婦負郡 杉原神社
旧村社

御祭神
木祖神

富山県富山市婦中町にある。
千里駅の東2Kmの田屋に鎮座。
井田川の東側に、田に囲まれたこんもりとした森が境内。

石造の鳥居をくぐると、日が拝殿の後方に見え、
逆光となって、なんとも神々しい。
ただし、参拝は、かなり昔なので、参拝時刻を思い出せない。
だから、この太陽は朝日か夕陽か、
境内がどちらの方角を向いていたかすら覚えていないが。
たぶん西向きだったのではないだろうか。


社域

社伝によると、
崇神天皇十年、大彦命が勅命を受けて当地に来られ、
民に耕作の道を教えたまう。
当時、悪病の流行で、死者が多く、
大彦命は、大いに憂いて、巨大な杉の樹を神として祀ったところ
悪病は無くなり、民は喜んで、神杉の下に小祠を建てたのが当社の創祀。

後に、この神杉が枯れたので、その木で神像を刻んだものが
残っており、県文化財となっている。

砕田川(井田川)の側にあり、砕田の宮とも呼ばれた神社。
あるいは、辟田の社とも。

聖武天皇天平2年(730)3月1日。
越の国社と定められ、神名は木祖神とされたという。
一説には、大己貴命が祭神であるとされ、また一説には、饒速日命

式内・杉原神社の論社の一つ。
当社の鎮座地・田屋は、御旅所の変化したものという考えがあり、
当社が御旅所であるとすると、本社は八尾町黒田の杉原神社となる。

拝殿はガラスに覆われ、扁額には「杦原神社」。
「杦」と書いて「すぎ」と読む。
拝殿後方に垣に囲まれ、同じくガラスに覆われた本殿がある。


鳥居と社号標

境内

社殿

本殿

扁額に「杦原神社」

本殿

杉原神座像
県文化財 昭40・10・1指定
祭神 木祖神
由緒
崇人天皇即位十年大彦命勅命を受けてこの地を 巡撫することになり民に耕作の道を教えて下さいま した。ところがこの地に悪病がはやり死者が多く、命が大 変心配され、この地方にあった大きな杉の樹を神と崇め 供物をしてお詣りされました。悪病がなくなり人々は大 変喜びました。人々はこの樹の下に小祠をたてておま つりし参詣しました。後にこの神樹が枯れたので、この 木で神像を刻み、砕田川(今の井田川)のほとりに 一社を創り砕田の宮といいました。その後聖武天皇の 時代(七〇一−七五六)に神名を「木祖神」と名づけられました。 当社のご神像は男神像で一本造りの杉材で刻んだ 座像で堂々とした老人の姿であります。 製作の年代は県内では高岡市二上、射水神社 の男神像に次いで古く、藤原前期の作とい われています。

−境内案内 (漢字はオリジナルのまま、句点を補いました)−



【 杉原神社 (婦中町田屋)(印刷用ページ) 】

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