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圓田神社
えんたじんじゃ
新潟県上越市名立区丸田字宮ノ下476  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 越後國頸城郡 圓田神社

御祭神
道臣命 大己貴命 少彦名命

仲丸子(日臣命九世孫金村大連之後) 『神名帳考證』

新潟県上越市にある。
8号線を名立の交差点で、名立川に沿って約5Km南下、
丸田の山の中にある。
社名は、神社では「マルタ」らしいが、
場所をうかがった土地の方は「えんた」と呼ぶ。

表の道は木々に覆われて、わからなかったが、
裏にも道があり、小さな鳥居がある。

が、とにかく狭く、わかりにくい場所だった。

式内社・圓田神社の論社であり、
式内社調査報告によると、「カミノミヤ」「鳥海宮」とも呼ばれた神社。

寛治年中(1087〜1094)、後三年の役で
鳥海彌三郎が鎌倉権五郎景政に追われ、
少彦名命の御神体を当社に納め、自らは付近の池に入水したという。

上杉謙信が当社を崇敬して供田を寄進し、
吉田家より社号の額を受けたが、火災で焼失したらしい。


鳥居と社殿

拝殿

拝殿の額

『神社明細帳』によると、天応元年(七八一)四 月の創立で、社殿は大同二年(八〇七)、飛騨の内匠の作と 伝える。丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉 斎したのであろう。『式内圓田神社御由緒大累』によると、 寛治年中(一〇八七−九四)、奥州後三年の役の際、鳥海彌 三郎が鎌倉権五郎景政に追はれて逃亡し、守り神少彦名命 の御神体を当社に納め、自らは付近の池に入水して果てた といふ。大永二年(一五二二)、神告により合祀したとのこ とである。

−『式内社調査報告』−



【 円田神社 圓田神社 (名立区)(印刷用ページ) 】

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