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中山神社
なかやまじんじゃ
新潟県三条市大字西大崎2137  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國蒲原郡 中山神社
旧村社

御祭神
國常立尊 健御名方命 木花咲屋姫命

三条市西大崎にある。
東三条駅の南東1Km強の場所に鎮座している。
平地にある集落の神社で、このあたりの神社はみな、
よく似た印象だ。

創立年代は不詳。
当初は、大崎村字中山に鎮座していたという。
その後、文治年間(1185〜1190)、
五十嵐小文治により七社平へ遷座。
延徳年間(1489〜1492)、長尾因幡守によって社地を没収され
永禄年間(1558〜1570)、現在地に遷座。

明治十六年五月十五日村社に列した。

五泉の中山神社とともに、式内・中山神社の論社となっている。

境内には、二つの境内社と、幾つかの石碑。
石碑は庚申のようだった。

赤い鳥居の境内社は稲荷社(稻倉魂命
もう一つには、5つの神社が祀られていた。
罹石社(罹石神)、水神社(水神)、雨負社(雨負神)、
大山社(大山祇命)、古峯社(古峯神)


鳥居から社殿

社殿

社殿

社号標

本殿

拝殿扁額

境内社

庚申塚

 創立年月不詳。もと大崎村の字中山にあり、山 上に寄木が存する。延暦年間勅命によつて藤原淡海公の胤 西野小次郎忠吉が神職に任ぜられ、蒲原郡十三座の一つと して延喜式に記載されたといふ。承平年間(九三一−三八) 料地千町歩を加賜さる。文治年間(一一八五−九○)領主五 十嵐小文治社祠を他に移し、七代神を祭る。よつて神号を 七社大神と改む。字七社平がその地に當る。延徳年間(一 四八九−九二)領主長尾因幡によつて邑を没収せらるるも、 永禄年間(一五五八−七〇)上杉輝虎の臣大崎越前の支配と なるに及んで社祠を大崎村に移す。

−『式内社調査報告』−



【 中山神社 (三条市)(印刷用ページ) 】

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