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剱神社
つるぎじんじゃ
新潟県糸魚川市宮平1464  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國頸城郡 佐多神社
旧村社

御祭神
建速須佐之男命 伊邪那岐命 大國主命 建御名方命

建速須佐之男命 伊邪那岐命 大國主命 『神社明細帳』
素盞鳴尊 『神名帳考證』
伊弉諾尊 伊弉冉尊 素盞鳴尊 『越後風土記節解』など
正殿 佐多神社 南殿 瓊矛神社 北殿 矛神社 『修造記』

糸魚川市、8号線梶屋敷から南下し5Km程度の宮平にある。
道路から、少し入りこんだ丘の上にあり、ちょっとわかりづらい。

社前に「剱大明神」の石碑がある。

本殿は覆屋の中で見えない。
参道の階段上に鳥居があり、両脇に木が聳えている。
境内から、社前を流れる早川を見下ろす。

東方にある鉾ヶ岳1316m山頂に石祠(奥宮)があったらしい。

式内社・佐多神社の論社。
一説には出雲国佐多神社(佐太神社)を勧請したという。

創祀年代には諸説あり、
『頚城郡延喜式神社考』では神代の勧請。
明治七年九月の『神社明細書上寫』には大同二年(807)三月十一日の勧請。
『神社明細帳』には大同四年十一月の創祀。
『修造記』には大同四年十二月、矛之峯より宮平へ遷座とある。

創建当時は佐多神社と称したが、剣を神璽とすることから
剣神社と称するようになったという。
また、勅納の御剣を正殿に奉斎しているからだとも。
剱大権現、鶴亀大明神、剱三社大明神、剱三社権現とも称された神社。


拝殿

拝殿

五月、桜の咲く境内

参道

鳥居

本殿

鉾ヶ岳

『頸城郡延喜式神社考』に「佐多郷在矛之峯神 也、神代勧請」、明治七年九月の『神社明細書上寫』に大同 二年(八〇七)三月十一日勧請、『神社明細帳』に大同四年十 一月創立、『修造記』に「御鎮座ハ大同四巳丑年十二月 矛之峯ヨリ宮平 ニ御鎮座ノ年月日カ」の如く、大同四年矛之峯より麓の宮平に遷座し たとある。大同四年は別として、神社創建遷座の古い形式 である。明治七年九月の『神社明細書上寫』に「出雲國秋 鹿ノ郡佐多神社ヨリ國引ノ郡早水ノ入江ノ岳ナル矛ケ嶽ノ 下都磐根ニ宮平ケク佐多神社奉勧請」の如く出雲國から佐 多神社を勧請したとある。

−『式内社調査報告』−



【 剣神社 剱神社 (糸魚川)(印刷用ページ) 】

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