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宇奈具志神社
うなぐしじんじゃ
新潟県長岡市島崎4753  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國古志郡 小丹生神社
旧村社

御祭神
太田命猿田彦大神の後裔)
合祀
建南方命(諏訪社) 素戔嗚命(天王社) 大物主命(金刀比羅社)

116号線、島崎の交差点で「良寛の里」へ入る。
美術館等があり、周囲の道も広いが、その敷地の東側の集落内にある。
集落内は道が狭く、車を止めるところがないので、
美術館そばに止めて歩く。地元の方に道を聞きながら、ようやく到着。

集落内の路地の奥にある境内は、
それほど広くないが、末社も幾つかある。
祝日(憲法記念日)だったので、拝殿には国旗も。

参拝後、車に戻る際、道をうかがった方にまた逢った。
「どうでした?」と声をかけられた。ありがたい。
この一言だけで、新潟が好きになった。

創祀年代は不詳。

養老年間(717〜724)、現社地の南800mほどの字大田に出現したため
出田神社と称して、当村の産土神であった。
一説には、祭神は鍋ブタに乗って降臨したといい、
醸造の神、麹の神でもあるという。

宝治二年(1248)、現在地に遷座。
今も神廟といって水田中に石祠の古跡保存されているらしい。
式内社・小丹生神社の論社。
だが、なぜ式内社・宇奈具志神社の論社じゃないのだろう。
明治三年に、宇奈具志神社と改称したのだが、不思議だ。


参道鳥居

拝殿

拝殿の額

境内

十二社

拝殿

神明社

稲荷社

本殿覆屋

古峯社

 宇奈具志神社由緒
祭神太田命猿田彦大神の後裔と申し伝えられ、創 立年月日は不詳。尊称小丹生神社延喜式内神社であ り、養老年間現地の南方八町を距る宇大田に奉斎し て出田神社と称して当村の産土神であり、今も神廟 といって水田中に石祠の古跡保存されておる。
宝治二年現域に遷座申し上げ、寛永七年検地の際三 石附与、延宝六年九月設楽孫兵衛検地の際三石七斗 七舛一合五勺増加附与されたが、明治七年返上する。 天和元年村大火の際類焼、翌二年十一月再建する。 文政十年六月改築、明治三年社号を宇奈具志神社と 改称。明治六年十一月村社に列せられる。
明治三十九年十二月神饌幣帛料供進神社に指定され 明治四十年九月同宇、天王社、金刀比羅社、諏訪社 を宇奈具志神社に合併の義許可され、同四十一年十 二月合併し幣殿を造営する。
例 祭四月十五日
現域に遷座せし日を以て定める
筒粥祭一月十四日
往古より伝わる神事で五穀の豊凶を占う奉幣式である
六夜待祭八月十六日(元八月二十六日)
秋季大祭の前夜祭で夜御神輿の巡行があり子供を中心にした弓踊り行列が行われる
境内神社十二社 創立 宝永七年二月
神明社 創立 弘化元年五月
稲荷社 創立年月日不詳
古峯社 創立 明治三十三年
良寛歌詩(境内に建立)
いずれの処にか蒸突を消さん ひとり愛す 出田宮 民々耳に盈つる蝉 冷々林を出づる風
みはやしは いづくはあれど越路なる 三島の里の 出田の宮

−境内案内より−



【 宇奈具志神社 (島崎)(印刷用ページ) 】

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