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日野神社
ひのじんじゃ
福井県越前市中平吹町字茶端80−1  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 越前國丹生郡 兄子神社
旧郷社

御祭神
繼軆天皇 安閑天皇 宣化天皇

福井県越前市にある。
北陸本線・王子保駅の東2Kmほどの中平吹町に鎮座。
日野川を越えて202号線を500mほど南下し
東へ入ると当社の境内入口の到着する。

境内は、日野山(795m)の西麓にあり、
当社の横から日野山への登る登山道がある。
日野山を背にしているので、
境内入口は西向き。
鳥居をくぐると広い境内。
参道を進むと、もう一つ鳥居が建っており
その奥に社殿がある。

拝殿は大きな入母屋造。
後方に垣に囲まれて千鳥破風付き流造の本殿がある。

参拝は五月の連休、曇天の午後。
福井旅行の最終日、最後の参拝。
連休の無事を感謝し、帰路の無事を祈った。

創祀年代は不詳。

御嶽山とも日永嶽(雛が嶽)とも
越前富士とも称される日野山に対する
山岳信仰の神社で、日野山山頂に奥宮がある。

『越前名勝志』には
「頂上ニ三社。養老ノ項泰澄大師ノ開キ給フ。
彫作観音、文殊、不動三社。」
とあり、昔は三社が祀られていたようだ。

式内社・兄子神社の論社の一つだが、
『日本紀略』の延喜十年九月五日の条にある、
従五位下を授けられた、式外社とする説もある。

現在の祭神は、継体天皇安閑天皇・宣化天皇の三神。
天照皇大神火産灵命天兒屋根命とする異説もある。
また、安閑天皇を祀り兄子神社とする説や
大己貴命五世孫の和爾子命を祀って兄子神社とする説も。

拝殿や本殿の屋根には金の葵紋が付けられていた。
松平家の崇敬社ということだろう。


境内入口

境内

境内

境内社殿

拝殿

社殿

社殿

本殿

本殿

日野神社由緒之碑
御祭神継体天皇 安閑天皇 宣化天皇
主な祭礼例祭
登山祭鎮火祭
四月二十五日
八月二十三、四、五日
 日野山は御嶽山・日永嶽また越前富士とも 言われ、昔から信仰の御山として尊崇されて 来た。当神社のことが歴史に見える初めは、 「日本紀略」の延喜十五年(九一〇)九月の条に「授 越前国日野名神従五位下」と見えるのを初見 とする。名神というのは、殊にその霊験のあ らたかさをもって著名な神という意である。 またこの御山のことは、長徳二年(九九六)に越前 守として武生の国府に赴任した父藤原為時に 伴われて来た紫式部が、その歌集に、
暦に初雪降ると書きつけたる日
目に近き日野岳という山の雪
いと深く見やらるれば
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪
  小塩の松に 今日やまがへる
と留めている。このように、この御山と神は 古くから著名であったことが知られる。また 中世・近世においては「日野山大権現」とし て山岳信仰の霊場として知られた。近世にお いては殊に越前藩主松平候、府中領主本多候 の崇敬が篤く、社領・社殿等が寄進されてい る。今日では「日野山まつり」として、登山 祭・鎮火祭(火まつり)で知られている。
 なお、継体天皇が当国に潜龍し給いし時、 二人の皇子(後の安閑天皇と宣化天皇)を伴っ て登山され、朝日を拝されてその鮮やかなこ とに感じ入られ、「此処こそ朝日を拝すべき山 である」と仰せられたとの伝説があり、また 古代神楽が伝わっている。

−境内由緒碑より−



【 日野神社 (越前市中平吹町)(印刷用ページ) 】

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