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大塩八幡宮
おおしおはちまんぐう
福井県越前市国兼町字榊山22−2

幣殿などの三棟の社殿が並んでいる右手に、
延喜元年(901)勧請の寿翁神社
案内板によると祭神は、大山津見神・伊邪那尊・須佐之男尊
少名彦神大己貴神大綿津見神で、疱瘡・疫病の神。
ところで、この伊邪那尊は、岐なのか美なのかがわからないが、
男神が集められているような感じなので
伊邪那岐尊なのかもしれない。

幣殿の右手には、当社の準別宮にあたる
天国津彦神社・天国津比咩神社
祭神は、伊邪那岐尊伊邪那美尊

創祀年代は不詳。
ともに延喜式内社の論社である。
往古、天国津彦神社は一之鳥居の西南に、
天国津比咩神社は一之鳥居の西北に鎮座していたが、
一向一揆の折に、社領没収となり遷座したもの。

幣殿の左手には、当社の別宮である高岡神社
祭神は、須佐之男尊
『越前国名蹟考』によると、
昔は、中央に須佐之男尊、右に少彦名神、左に大己貴神
三柱を祀っていたとある。

創祀年代は不詳。
これも延喜式内社の論社である。
往古は、東南方向にある高岡峯に鎮座。
昌泰元年(898)六月に本殿の左に移り、
江戸時代に、現在地へ遷座した。


幣殿

寿翁神社

高岡神社と幣殿

天国津彦神社・天国津比咩神社と幣殿

高岡神社

天国津彦比咩神社

幣殿の後方。垣の中には当社の本殿(覆屋の中)。


幣殿

本殿

本殿

本殿後方から

本殿を囲う垣の右手奥にも境内社が並んでいる。
中央にあるのは、天八百萬比咩神社
祭神は伊邪那美尊
『越前国名蹟考』によると、
昔は、中央に伊邪那美尊、右に倭姫、左に玉依姫
三柱の女神を祀っていたとある。
この玉依姫については、いずれの玉依姫かは未確認。
現在は、伊邪那美尊以外の祭神は不明となっているようだ。

これも延喜式内社の論社である。
本社創祀以前から、祀られていたという長寿の神。
『越前国名蹟考』には、
当社の西南方向・桜井峯に祀られていたものが
文暦二年(1235)三月二十四日に遷座。
「別宮 右脇」とあり、
高岡神社がもとは本殿の左にあって、
三柱の男神を祀っていたことに対応する。

左手にあるのは、源嫡神社
別名を東照宮といい、祭神は徳川家康。
江戸初期の寛永年代に、東照宮を模して建立されたが
老朽化により、現社殿に移された。

右手にあるのは、高良神社
祭神は、武内宿禰命で、
本社と同じ時期(891)に勧請されたもの。

この三社の奥には、清務霊社
当社神職清原家の祖である舎人親王を祀る。

さらに奥には、鎌倉時代・源平合戦の中期
木曾義仲が戦勝を祈願した本陣跡がある。
当時、本社の拝殿が兵火に罹り焼失したため、
近くの杣山日吉山王社の拝殿を引き取り
三日三晩で移築したのが、
現在重要文化財となっている拝殿らしい。


本殿後方の境内社

源嫡神社

天八百萬姫神社

高良神社

天八百萬姫神社後方から

清務霊社

木曾義仲本陣跡伝承地の碑


【 大塩八幡宮 (越前市) その2(印刷用ページ) 】

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