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庭田神社
にわたじんじゃ
兵庫県宍粟市一宮町能倉1286  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ蔓柏

式内社 播磨國宍粟郡 庭田神社
旧村社

御祭神
事代主命

兵庫県宍粟市にある。
中国自動車道・山崎I.C.の近くにある宍粟市役所から
北東15Kmの一宮町能倉に鎮座。

29号線を北上し、伊和神社を通過して
東市場の交差点から8号線を東へ3Km。
8号線と染河内川の間に境内がある。

8号線から少し南(川側)へ入ると高い木々の社域。
入口前は駐車場になっており、車を停めて参拝開始。

鳥居をくぐり参道を進むと神門。
神門の奥が、社殿のある境内。
参拝は年始四日、周囲の雪は解けていたが
境内には、まだ雪が残っており、
境内中央の土俵には、ブルーシートがかけられていた。

拝殿前には門松が飾られ、
柏紋を染めた幕が張られていた。
拝殿の後方、垣の中には入母屋造の本殿。
本殿の雰囲気は伊和神社と似ている。

境内には「霊石」と呼ばれる石が祀られ、
境内隅には一宮遥拝所がある。

社伝によると、成務天皇十四年二月十一日、
神託によって社殿を建てて祀られたという。

また、由緒記には
伊和の地で、大国主神天日槍神との最後の交渉が行われ
その後、庭音の里(当地)で酒を醸し饗宴が行われたとある。

境内後方に「ぬくい川」と呼ばれる霊地があり
清泉が湧き出ているらしく
その場所で酒を醸してという。

境内の左手に境内社が並んでいる。
水分神加具土神大歳神大山津見神火魂神を祀る
五社五行神。
荒神社、八幡社、祇園社、出雲社、稲荷社、皇大神宮の小祠。

本殿の屋根には、菊紋と桐紋の装飾があったが
祭神が事代主命なので、拝殿の幕にある柏紋が
当社の神紋だと思う。


社域

鳥居

境内

境内

拝殿

拝殿

本殿

社殿

境内社

一宮遥拝所

霊石

式内 庭田神社由緒記
一、鎮座地一宮町能倉馬場一二八六番地
一、創 立第十三代成務天皇甲申二月十一日
一、祭 神事代主命末社両大神宮社、稲荷社、荒神社
祇園社、蛭子社、五社五行神
一、境内面積千三百七十九坪
一、伝 記
古伝によると大国主命天乃日槍命と国土経営を 争い給いし時伊和の地に於て最後の交渉を終 られ大事業達成に力を合せられた諸神々を 招集えて酒を醸し山河の清庭の地を撰び慰 労のため饗宴を為し給えり
この地が即ち庭酒の里、現在の庭田神社奉祀の 霊地なるにより社殿を造営その御魂を鎮祭 れりと云う然るに当社安永縁起に成務天皇の 御代に神託に依り新に神殿を建て広く崇敬 せらる。延喜式の制小社に列し江戸時代寛文 十一年社殿改造、元禄十五年本殿屋根替、 享保八年本殿屋根替、元文三年拝殿屋根替 中略、明治四年本殿棟上再建、昭和四十三年 五月敞殿改築、昭和四十九年十月拝殿改築 現在に至る
一、霊 石社殿右面にあり
一、霊 地社殿後方五十米 ぬくい川

−境内案内板−



御由緒

古伝(播磨風土記)に大名持大神大国主大神)が国土経営の大業をなされ伊和の地で最後の交渉を終えられた時、其の大挙に係はれる諸神を招集へて酒を醸し山河の清庭の地(当社所在地)を選びて慰労のため饗宴をなし給えりし霊跡なるにより、社殿を造り奉りて其の御魂を鎮祭れりと云う。又当社安永縁起に、人皇十三代成務天皇の御代甲申二月十一日は(一三一年)神託により神祠を建て崇敬せらる。後神功皇の時に殊に霊験有るをもって、本殿及諸殿を造営とあり、社殿の興廃は度重なるも明らかでないが、寛文十一年八月(一六六三年)本殿をはじめ修営なるも文久三年十一月(一八六三年)に焼失せしにより村民等議りて明治四年十二月(一八七〇年)に社殿等再建さる。昭和四十三年四月幣殿改築、昭和四十九年十月十八日御鎮座一八〇〇年祭執行記念事業として拝殿及末社等改築落成現在に至る。

−『平成祭データ』−



【 庭田神社 (一宮町)(印刷用ページ) 】

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