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疋野神社
ひきのじんじゃ
熊本県玉名市立願寺460  Zenrin Data Com Maps display !!


蓮の実

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式内社 肥後國玉名郡 疋野神社
旧県社

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御祭神
波比岐神 相殿 大年神
『玉名郡坂下手永立願寺村疋石野大明神由来』
疋野長者

熊本県玉名市。玉名温泉の近く。
JR玉名駅から北へ約1Kmほど。

境内入口には、白い大鳥居がそびえている。
坂道の参道を登り、階段上に境内。

当社の祭神・疋野大明神は疋野長者であるという伝説がある。

創祀年代は不詳。
式内社・疋野神社に比定される古社。

古代、玉名地方に栄えた日置(へき)氏の氏神を祀った神社だが、
日置氏の没落とともに衰微。
当時は「疋石野大明神」と称されていた。

伝承では、菊池氏が疋石野大明神に宝物を見せるように要求したが
疋石野大明神は、無いと答え、
怒った菊池氏が社殿等のすべてを焼いてしまった。
その後、祟りがあったので、社殿を再建。

だが、戦国時代に薩摩の島津氏によって再度焼かれ
現在の神社は、延宝六年(1678)に再興されたもの。

以下のような疋野長者伝説がある。

昔、京に住む美しい姫が、夢を見た。
「肥後国疋野の里に住む、炭焼き小五郎という若者と夫婦になるように」
姫は、夢のお告げの通り、疋野へやって来た。

貧しい小五郎に、姫は金貨を与え、米を買って来るように頼む。
出かけた小五郎は、途中飛んできた白鷺に金貨を投げる。
怪我をした白鷺は、湯煙立ち上がる谷間へ落ちて行き、
しばらくして、元気に回復し、飛び去ってしまう。

米を買わずに引き返した小五郎に、
姫は「あれは、大切なお金というもので、何でも買えましたのに」
すると小五郎は「あんなものなら、山に沢山ある」
見ると山のあちこちに多くの金塊が埋まっていた。

こうして、夫婦は疋野長者となり、
白鷺が元気になった湯が、今の玉名温泉となった。

この「炭焼き長者伝説」は、日本各地に存在し、
有名なものは、豊後の真野長者。
柳田国男の「日本の昔話」に収録されている。

朝鮮半島や中国にも、似た話が多く伝わっている。
総じて、炭焼き・鍛冶・冶金・タタラなどと関連しており、
当社の祭神、波比岐神が「灰吹き」の意味で、
製鉄のフイゴに因んだ名前とされていることにも関連する。

当社「疋野」は、日置(ひおき)氏の氏神を祀ったものとも云われ、
日置氏は、古代に玉名地方に勢力のあった氏族。

社殿の左手がかなり広い。
社殿後ろには、疋野長者の「福授水」や「御神陵」がある。


二之鳥居

三之鳥居

境内

社殿前に小さな厄除鳥居

社殿

本殿

拝殿

横から社殿

福授水

疋野長者御神陵

猿田彦大神

疋野神社ご案内
御祭神は神代の尊い大神様です
主神波比岐神(「古事記」「延喜式」に見え朝廷の崇敬厚い神様です)
相殿大年神素盞嗚尊の御子神様で波比岐神の御父神様です)
ご社殿は荘厳で堂々たる流れ造りです
現在の社殿は、約三百年前の延宝六年 藩主細川 綱利公のご造営で、総けやきの素木つくりであり 神殿の飛龍の彫刻も見事なものです。
式内社であり由緒深い神社です
平安時代の国の法律書「延喜式」神明帳 記載の いわゆる式内社であり、県下でも貴重な存在の神 社です(熊本県三社、玉名地方では当社のみ) また、「続日本後紀」記載のいわゆる国史現存社で あり、官社列格の年月日が明白にされています。 (西暦八四〇年七月二十七日)
旧県社であり格式高い神社です
明治初年には県下で真っ先に県社に列格されまし た(玉名地方では唯一の県社で最高の社格です)
疋野長者ゆかりの神社です
疋野長者伝説の長者御神陵が社殿の裏にあります。 長者の如き幸と福を祈って数多くのご参拝があり ます。また近くの玉名温泉は、長者発見の出湯と 伝えられ、すぐれた泉質と歴史の古さは全国でも 有数のものです。
すばらしい鳥居と境内地です
二の鳥居は肥後藩家老長岡筑後守寄進の三百年を 経た石鳥居であり、参道正面の純白の一の大鳥居 は国内外数千人の人々の奉納で、県下にほこる大 鳥居です。また当神社は玉名地方を見はらす高台 にあり、春の桜、秋の紅葉も参拝の人々を楽しま せてくれます

−境内案内−



【 疋野神社(印刷用ページ) 】

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