[HOME]  >  [神社記憶]  >  [九州地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


手長比賣神社
たながひめじんじゃ
長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 壹岐嶋壹岐郡 手長比賣神社
旧無格社

御祭神
栲幡千々姫命 天忍穂耳尊
延宝以前は神功皇后 『式社沿革考』
延宝以前は手長男神 『神名記』

長崎県の壱岐島の西、勝本町本宮にある。
沖には、南北に長い手長島という無人島が浮ぶ。
ただし、当社からは見えない。

『式内社調査報告』では、通称「火箭の辻」と呼ばれる
峠の上にある社に印があり、行って見たが違う社だった。
峠の周囲を歩き、ヤブコギをしたが、見当らない。
ただ、この峠の山中には、仏像や石碑があり、
古社があったも不思議ではない感じ。
近くに住んでいる方に聞いてもわからない様子。

何度か峠の山中を探索していて出会った方が、
「案内するから、ついて来なさい」
と、スクーターで先導してくれた。
探索していた峠を北へ下り、本宮八幡のある山の麓。
先ほどの峠と、本宮の山の間の谷間の田畑の隅に鎮座。

鎮座地は、「棚河」(たなごう)と呼ばれている地で、
棚河大明神と称されていた。

式内社・手長比賣神社と考えられている神社。

手長姫神は、本宮八幡の神と石礫を投げて
領田を競ったという伝説が残っている。


手長島

社殿

社殿内

境内隅に置かれていた昔の鳥居扁額

 慶安二年再建の棟札は式内社の由緒を示すもの と考へる。「奉造立本宮郷久栄村棚河大明神社壇一宇之事 云々當國所司代西郷右京亮下略」
 延宝四年六月橘三喜の式内社の調査も前記棟礼を重く見 たのではないかと思ふ。當社を手長比賣神社に査定し、藩 主の木鏡石額が献ぜられて式内小社となつた。

−『式内社調査報告』−



【 手長比売神社 手長比賣神社(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index