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津田神社
つだじんじゃ
三重県多気郡多気町井内林159−1
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式内社 伊勢國多氣郡 林神社 |
三重県の多気町にある。
紀勢本線・相可駅の西3Kmほどの井内林に鎮座。
421号線から北へ入った場所。小学校の北側にあり、櫛田川の南側に南向きの境内がある。
参道入口も南向き。
社前から境内の大きな御神木が見える。
参道を進むと境内入口の鳥居。鳥居の左手に「津田神社」と刻まれた社号標。
鳥居の右手には「伊勢白龍大明神」を祀った石碑が立っている。
鳥居をくぐると右手に、境内の外からも見えた、樹高35mの大きな御神木。
鳥居の正面に拝殿があり、拝殿の後方、瑞垣の中に神明造の本殿がある。
鳥居から右手に行くと、境内の南東隅に「禁殺生」「林神社」と刻まれた石柱があり、
境内の左手(西側)には「橿原神宮遥拝所」の石柱が立っている。
創祀年代は不詳。
上記のように旧名を林神社と称し、式内社・林神社に比定されている古社で、
延喜斎宮式によると、斎宮の祈年祭、新嘗祭に預かり、
絹・木綿・麻・楯などが座別祭料として供進された神社であったが、
文政元年十一月、火災により古記録を焼失したらしい。
明治三十九年に明細帳によると、享保年間、和歌山藩より「禁殺生」の棒石が建設され、
社域の四隅に「林神社」と記した石が建てられたとある。
参拝当時、このことを知らなかったので、僕は南東隅の石柱しか確認していないが、
今でも四隅にあるのだろうか。
また、当社そばの光徳寺に当社の本地仏である薬師があったらしい。
現在もあるかどうかは、残念ながら未確認。
明治六年三月、村社に列し、
明治四十一年二月十一日、村内四十社を合祀して津田神社と改称した。
『三重県神社誌』によると「村名を以て」とあるので、当地は明治期には津田村と呼ばれていたのかも。
式内社・櫃倉神社について、『伊勢式内神社撿録』には
櫛田川の南岸、鍬形村の天神社が論社として挙げられているらしい。
鍬形村には、村社・八雲八柱神社、無格社・鍬山神社、無格社・菅原神社があったが、
この菅原神社が天神社のこと、つまり櫃倉神社だったと考えられている。
この三社は、明治四十一年一月十七日に合祀されて櫃倉神社と改称し、
さらに、明治四十一年二月当社・津田神社に合祀されたらしい。
なお、同時期に合祀された津留八柱神社は昭和三十一年に、
四疋田八柱神社は昭和三十三年三月に分祀独立しているらしい。
拝殿内の中門の扉や、本殿の屋根に三巴紋の金の装飾が付けられており、
『三重県神社誌』には当社の神紋は「左三巴」と記されている。
社頭 |
参道入口 | 参道鳥居 |
境内隅に「林神社」社号標 |
境内入口 | 伊勢白龍大明神 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
御神木 |
拝殿内の中門 | 橿原神宮遥拝所 |
境内 |