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伊佐爾波神社
いさにわじんじゃ
愛媛県松山市桜谷町173  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 伊豫國温泉郡 伊佐尓波神社
旧県社

伊佐爾波神社公式サイトを開く

御祭神
誉田別尊 足仲彦尊 氣長足姫尊 市杵島姫尊 湍津姫尊 田心姫命
配祀 東照大神

愛媛県松山市の道後温泉にある。
道後温泉駅から真っ直ぐに東へ500mほどの参道が続く。
途中には大鳥居があり、その側に、湯神社へ登る階段。

参道を進むと、135段の階段の上に境内。
正面に楼門があり、四囲を廻廊で囲んだ社殿が立っている。
社殿の後方に駐車場があり、その後方に、意味ありげな丘。
丘の上に続く階段があったので、登って見たが何も無かったので、
社殿を後方から見下ろした写真を撮影して、社殿へ戻る。

楼門をくぐり、廻廊を歩くと、赤い八幡造りの本殿。
流造りの社殿を前後に連結し、外陣と内陣に分けた構造。
案内には、宇佐神宮石清水八幡宮と本社にしかない社殿とのことだが、
実は、その他にも、存在する。

道後温泉に泊まっていたので、早朝に起きて、
薄暗い温泉街を散策しながらの参拝。
境内から、動き始めた町を見下ろしながら、旅の予定を考えていた。

社伝によれば、仲哀天皇神功皇后が、道後温泉に行幸されたおりの
行宮の跡が当社だそうだ。

伊佐爾波(いさにわ)は、沙庭(さにわ)の意味で、
清浄な儀式の庭の意味。
万葉集にも歌われた地名なのだ。

伊豫の高嶺の射狭庭の岡に立たして歌思ひ辞思はししみ湯の上の樹群を見れば
山部赤人


南北朝時代、当地に湯月八幡宮が勧請され、
伊佐爾波神社というより、八幡宮として地域の崇敬を集めていたという。
現在も、楼門には「八幡宮」の額がかかり、
本殿も八幡造りとなっている。

本殿に向って左右に境内社がある。
左(北側)が高良玉垂社(武内宿禰命)。
右(南側)が新田霊社(新田義宗 脇屋義治 松平定長)。
参道の階段中腹には素鵞社(素盞之男命 稻田姫命)。
また、陽石らしき石もあった。


参道の鳥居

参道階段

参道階段

楼門

楼門

本殿

本殿後方から

背後から回廊全景

参道の素鵞社

高良玉垂社

新田霊社

伊佐爾波神社
松山藩主・松平定永公(第三代)が、時の将軍に 流鏑馬を命ぜられ、八幡様に祈念して成功した、 お礼として建立した。京都の石清水八幡、大分の宇佐八幡 とあわせ、日本に三つしかない「八幡造り」の社殿は国指定 重要文化財である。切妻造り、桧皮葺き、流れ造りの 社殿二棟が正面に向拝のある外陣と内陣が屋根の 軒先中央で密着しているのが「八幡造り」の特色である。 社殿の完成は寛文七年(一六六七)といわれている。

−参道案内より−


伊佐爾波神社
附 末社 二棟 石燈籠 二基 棟札 一枚
重要文化財(建造物)
昭和三一年六月二八日指定
 祭神は仲哀天皇応神天皇神功皇后、 三柱姫大神で延喜式内社である。 社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道 後温泉に御来浴の行在所跡に建てられ た神社である。
 松平松山藩第三代藩主の松平定長 (一六四〇〜一六七四)が時の将軍に 流鏑馬を命ぜられ、当社に必中を祈願 して成就したので現在の社殿を造立し たと伝えられる。
 本社は正面から見てまず楼門があ り、そこから四囲に廻廊をめぐらし、 その中に廊下、申殿、本殿を配置して いる。本殿は内陣と外陣とにわかれ、 屋根は檜皮葺、平入りの切妻造りで前 後に並び、建物中央の雨樋で軒先を接 している。この様式は京都府の石清水 八幡宮、大分県の宇佐神宮と本社にし かない八幡造りの特色である。

−境内案内より−



【 伊佐爾波神社 (道後温泉) 】

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