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伊豫豆比古命神社
いよづひこのみことじんじゃ
愛媛県松山市居相2−2−1  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊

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式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫豆比古命神社
式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫神社 名神大
旧県社

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御祭神
伊予豆比古命 伊予豆比賣命 伊與主命 愛比賣命

愛媛県松山市にある。
JR予讃線市坪駅の東2Kmほどの居相に鎮座。
南北に走るJRと33号線の間を東西に走る道の中央付近。
JR側、33号線側の道路に、それぞれ大きな赤い鳥居が立っている。
JR側(西側)の鳥居はマンションに接するように窮屈な状態だ。

境内入口にも赤い鳥居。その後方が楼門。
楼門をくぐると広い境内があり、階段の上、正面に社殿が立つ。
境内の左手、階段の横には船山と呼ばれる塚のようなものがある。
祭神・伊予豆比古命、伊予豆比賣命が船を寄せて上陸したと伝承される丘。

拝殿の周りに回廊が設置され、本殿は回廊の中にある。

通称、椿神社。

創祀年代は不詳。
社伝によれば大化元年(645)、社殿を造営。
当地の開拓神、久米氏の祖神を祀る神社。

当初は、梅本村小野谷に鎮座していたが、
洪水で当地に流れてきたという伝承がある。

式内・伊豫豆比古命神社の論社だが、
伊豫村大明神とも称していたことから、
式内・伊豫神社の論社とも考えられている。

当社の神事に、椿まつりがある。
旧暦正月八日を中日とする三日間の初祭で、
中日夕刻には、神輿が神門を出るまで無言おこなわれる
お忍び渡御が慣例。神門を出ると一斉に歓声があがるらしい。

祭日や休日には、回廊内の参拝ができる。

当日は平日のため、通常なら回廊は閉門されているのだが、
歳末なので、境内では年始準備を行なっており、
回廊の門が開いていたので、許可を得て回廊内を参拝させていただいた。

回廊内に社殿内庭神苑があり、
燈籠が並んだ庭には、多くの椿が植えられている。

本殿後方に「潮鳴の石」という石がある。
この石を打って、耳を当てると潮騒が聞こえるという。

回廊右手は、古い「冨久椿」の納所となっている。
冨久椿は、当社の椿まつりで販売されるものだが、
ユーモラスな冨久娘の顔が付いている。


33号線側の大鳥居

境内入口

楼門

拝殿

境内

回廊内の燈籠

冨久椿

本殿かな?

潮鳴の石

本殿かな?

船山と社殿

児守神社

御倉神社

勝軍八幡神社

奏者社

伊豫豆比古命神社 (椿神社)
松山市居相町三三七 予讃線松山駅五粁
祭神 伊予豆比古命・伊予豆比賣命・愛比賣命・伊與主命
例祭 一〇月七日 神紋 十六菊
事業 結婚式場(椿会館) 建物 本殿王子造一五坪・拝殿一二〇坪・舞殿三〇坪・神門二〇坪
境内 四五〇〇坪 末社 一一社
社宝 狛犬一対(重美)甲冑五・獅子頭・船山(史跡)
氏子 一五〇〇戸 崇敬者 七万人
神事と芸能 椿祭(旧正月七日〜九日・この間にお忍びの渡御・合せ火・貸銭あり)御田植祭(六月二四日)
由緒沿革 孝霊天皇の時代、当地に鎮座したと伝 える。延喜式所載の伊予豆比古命神社が即ち 当社である。二神この国に降り鎮護の神とな り、二名浦の神と名付けられた。藩主久松氏 の崇敬をうけた。縁起開運の神として崇敬者 の範囲も全国にわたる。ことに椿祭には全国 より八〇万人の人手があって賑わう。昭和三 七年には鎮座二二五〇年祭を行なった。旧県社。 (神社本庁別表神仕)

−『全国神社名鑑』−



【 伊予豆比古命神社 伊豫豆比古命神社 椿神社 】

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