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國津比古命神社 櫛玉比賣命神社
くにつひこのみことじんじゃ くしだまのひめのみことじんじゃ
愛媛県松山市八反地106・高田702  Zenrin Data Com Maps display !!

國津比古命神社

十六八重菊

櫛玉比賣命神社


國津比古命神社
式内社 伊豫國風早郡 國津比古命神社
旧県社

御祭神
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
配祀 宇麻志麻治命 物部阿佐利命 誉田別命

櫛玉比賣命神社
式内社 伊豫國風早郡 櫛玉比賣命神社
旧郷社

御祭神
天道姫命
配祀 御炊屋姫命

愛媛県北条市(現松山市)にある。
伊予北条駅の東2・3Kmの八反地と高田に跨って広い境内。

境内入口から階段を上ると、
左手に八脚門があり、階段上に東向きの國津比古命神社。
右手奥の階段を上り、参道を歩くと西向きの櫛玉比賣命神社。
正確には、違う境内なのかもしれないが、
大きな一つの境内に、2つのお宮が、向かい合って鎮座している状態。

といっても、江戸期までは、櫛玉比賣命神社は、
もっと南の小山の上にあったらしいが。

とにかく、現在は夫婦向かい合って祀られている。

応神天皇の御代、饒速日尊の裔・物部連伊香色男命四世の孫である
阿佐利が、風早国造となり、当社を創建。

國津比古命神社は、もと櫛玉饒速日命神社と称していたが、
物部阿佐利を合祀して、國津比古命神社と改称したという。
また、俗に、頭日(かぐひ)神社、頭日八幡宮とも称されていた。
頭日(かぐひ)は地名による社名というが、
饒速日と頭日、そして、櫛玉比賣命神社祭神の天道姫と
太陽信仰を連想させるキーワードが散見。

当社の第一の特色は、その祭。
『火事祭』(ひのことのまつり)と呼ばれ、
祭りの最後に、階段から神輿を落として破壊し、
御分霊が飛び出るまで、続けられるらしい。

神紋に関して。
境内では、菊紋しか目に付かなかった。
探し方が足りなかったのかもしれない。
『神社名鑑』によると、
國津比古命神社は三巴、櫛玉比賣命神社は菊に五つ星。
でも、未確認なのだ。
ただし『愛媛県神社誌』には、両社とも菊紋と記されている。
だから菊紋だけ掲載しておく。

國津比古命神社八脚門は、
元禄年間に阿沼美神社から移されたもの。
階段下には金刀比羅宮。その前には真名井の井戸。
社殿左手には、稲荷社がある。


参道の鳥居、一之鳥居か?

社頭

鳥居と社号標

八脚門

八脚門左に神楽殿

八脚門右に金刀比羅宮と真名井

國津比古命神社社殿

社殿

稲荷社

拝殿

社号標

拝殿

本殿

延宝九年の鳥居扁額

櫛玉比賣命神社は、抜入桝大明神と称されていたが、
享保年中、現社名に復帰した。
祭神・天道姫命は、國津比古命神社祭神・櫛玉饒速日尊の妃。
配祀の御炊屋姫命は、櫛玉饒速日尊が大和へ入ってからの妻。
現代社会で考えると、微妙な配祀ではある。

参道には和霊神社。
社殿の右には、素鵞社。
社殿後方が前方後円墳。
風早国造の墳墓という説もある。


櫛玉比賣命神社入口

社号標と階段

参道

参道

櫛玉比賣命神社拝殿

参道の和霊神社

櫛玉比賣命神社脇の素鵞社

旧本殿

拝殿

本殿

櫛玉比賣命神社参道から國津比古命神社

風早宮大氏神延喜式内社國津比古命神社櫛玉比賣命神社略縁起

 式内社とは、延喜年間(901年−922年)に編纂された「延喜式」『神名帳』に記録されている神社のことをいいます。全国に2861社 (3132座) あり、愛媛県内には当社を含めて24社あります。風早 (風速) の名称は承平年間(931年−938年) につくられた「和名類従抄」『国郡部』に初めて見られます。この地は「國造」である『物部阿佐利』により開拓され、支配されていました。この物部阿佐利命の祖神をお祭しているのが「國津比古命神社」です。
 祭神
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 (以下、『櫛玉饒速日尊』といいます。) 相神 宇摩志麻治命 物部阿佐利命 誉田別尊 (応神天皇) そして櫛玉饒速日尊の妃神 (櫛玉の比賣) をお祭しているのが「櫛玉比賣命神社」です。祭神 御炊屋姫命 天道姫命 神社創設の時期は明確ではありませんが、①式内社であること②歴史地理的条件③環境風土の形態から考えて、いまから 1500年以上前と考えられます。
 國津比古命神社
 國津比古命神社は応神天皇の時代に物部阿佐利が國造に任命され、彼の祖神である櫛玉饒速日尊と宇摩志麻治命(櫛玉饒速日尊の子)をお祭りしたことに始まります。社号は、初め『櫛玉饒速日命神社』でしたが、物部阿佐利命を合祀して國津比古命神社と名を改めました。後に誉田別尊を合祀し『頭日八幡宮』と再び改めましたが、享保年間(約 270年前) に國津比古命神社と旧号にもどりました。天正年間(1573年−1591年) 、戦火のため社殿・宝物を焼失しましたが、河野家が社殿を建築し、現在にいたっております。明治 4年に社格が『郷社』になり、同29年『県社』に昇格しました。昭和26年 『八脚門』県指定有形文化財 。 昭和43年 中殿・拝殿改築。 昭和60年 社殿屋根葺替・境内地拡張補強。
 櫛玉比賣命神社
國津比古命神社の主祭神である櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしているのが、向かい側の櫛玉比賣命神社です。社号は『祓座大明神』ともいわれました。寛永年間(約360年前) 官命により、南方の小山の頂より現在の地に移されました。古来、地方豪族の氏神として崇敬され、明治29年に社格が『郷社』になりました。
 史跡 境内 前方後円墳
 昭和43年 中殿 改築。 昭和60年 社殿改築・境内地拡張補強。ご両社はご夫婦なかよく向かいあってお祭りされ,私どもをやさしく見守っていただいております。これが家族円満,夫婦円満(一願成就)の神社であるといわれる所以です。
 祓い
 人々は春には豊かな実りを祈り,秋には感謝の誠を捧げるために祭をします。祭をする者は「きよらか」でなければならないので,お祓いなどをして心身を清めます。
 祭に使う道具なども新調します。(当社の場合は神輿を新調します。)
 祈り
 日本書紀の『神武天皇紀』に「顕斎」の記事が書かれております。時に道臣命に勅したまはく,いま高皇産霊命を以ちて,朕,親ら顕斎を作さむ。汝を以ちて,斎主となして,授くるに,厳姫の號を以てせむと。顕斎とは「そこに神様がおられるようにお仕えすること」です。櫛玉饒速日尊のご神徳は「一願成就」です。國津社の神輿の前で祭を行っている時に櫛玉社のおしのびの渡御(宵の明星の神事)があります。人々の幸福(一願成就)を祈ります。
 神人一体
 なぜ,神輿を壊してしまうのでしょうか。①祭の物忌を解くためであります(解斎の行為)②祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)①祭の期間は「きよらかな期間」なので,それの終わりを告げる行事としてこれがある。②当社の場合,毎年神輿を新調しますが、伊勢神宮では平成5年10月に式年遷宮(20年に一度すべてを作りかえる)が斎行されます。
 感謝
 米を作るということを通じて,自然の恵みに感謝する。
 結び(よりよく生きる)
 ①好き,嫌いなく食べる(元気な体)。げんきの「き」の字は「氣」・「気」?生活の中から米をしめ(メ)出していませんか?②言動を正す(正しい言葉づかい)言霊(ことだま・・・言葉の魂)③豊かな自然とご先祖様に生かされていることに感謝する
 神詣で(風早の火事祭)
 ①総論 俗に、半鐘と太鼓をたたきながら、賑やかにだんじりをかくので、「かじまつり」などといわれておりますが、『火事祭』は「ひのことのまつり」と読みます。そのいわれは國津比古命神社にお祭りされている神様の名前に関係があります。お祭りされている神様は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)』と申します。なぜ「ひのことのまつり」なのでしょう。②別火 秋祭の始まる3日前から神職は斎館に参籠して,潔斎を行います。調理に使う火は鑚りおこします。また,秋季動座祭においては此の鑚火により調理した「鮒のいずみや」と「一夜酒」が特殊神饌としてお供えされます。③動座祭(宵の明星・・・顕斎の再現)日本書紀の『神武天皇紀』に「顕斎」の記事が書かれております。当社の動座祭には,この顕斎の神事の再現がなされます。動座祭に限って女神である『櫛玉比賣命神社』から祭祀が始まります。御動座は祭式次第の最後に斎行します。これに対し,男神である『國津比古命神社』では御動座は祭式次第の最初に斎行し神輿の前で祭祀をします。ちょうどその御動座祭の時(祝詞奏上の時)『櫛玉の比売』の『宵の明星』の渡御(おしのびの渡御)が斎行されます。これが『顕斎の神事』の概略であります。④解斎の神事 各地区での渡御を終えた四体の神輿は神社にかえり,大勢の氏子崇敬者の見守るなか四十段の石段のうえから真っ逆さまに投げ落とし分霊が表れるまで壊されます。なぜ,神輿を壊してしまうのでしょうか。①祭の物忌を解くためであります(解斎の行為)②祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)⑤一願成就 私どもは『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)』の御神徳を一願成就と説いております。『生きとしけるもの』はすべて『火』のおかげをこうむっております。一願成就の「一願」とは「一つの願事」が叶うということよりも,それぞれの人の願事がかなうことによって「世の中の人がみんな幸福になること」であります。これが「ひのことのまつり」の所以であります。
 風早の秋祭 「ひのことのまつり」
 俗に,半鐘と太鼓をたたきながら,賑やかにだんじりをかくので,「かじまつり」などといわれておりますが,『火事祭』は「ひのことのまつり」と読みます。①そのいわれは國津比古命神社にお祭りされている神様の名前に関係あります。お祭りされている神様は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)』と申します。なぜ「ひのことのまつり」なのでしょう。②動座祭(宵の明星・・・顕斎の姿)「動座祭」は分霊を本殿から神輿にお移しするお祭です。日本書紀の『神武天皇紀』に「顕斎」の記事が書かれております。時に道臣命に勅したまはく,いま高皇産霊命を以ちて,朕,親ら顕斎を作さむ。汝を以ちて,斎主となして,授くるに,厳姫の號を以てせむと。動座祭には,この顕斎の「姿」があります。動座祭に限って女神である『櫛玉比賣命神社』から祭が始まります。櫛玉社のご動座は祭式次第の最後に行います。これに対し,男神である『國津比古命神社』ではご動座を祭式次第の最初にします。國津社のご動座のおり(祝詞奏上の頃),『櫛玉の比売』の『宵の明星』の渡御(おしのびの渡御)が始まります。これが『顕斎の神事』の概略であります。③解斎の神事 各地区での渡御を終えた四体の神輿は神社にかえり,大勢の氏子崇敬者の見守るなか四十段の石段のうえから真っ逆さまに投げ落とし分霊が表れるまで壊されます。なぜ,神輿を壊してしまうのでしょうか。①祭の物忌を解くためであります(解斎の行為)②祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)④一願成就 私どもは『天火明命』の御神徳を一願成就と説いております。『生きとし生けるもの』はすべて『日(火)』のおかげをこうむっております。一願成就とは,一つの願事が叶うという意味ではなく,人々の願事が叶うことによって「世の中の人がみんな幸福になること」であります。これが「ひのことのまつり」のいわれであります。

−『平成祭データ』−



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