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志理太乎宜神社
しりたおぎじんじゃ
静岡県東伊豆町白田167−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 伊豆國賀茂郡 志理太(乎)宜神社
旧村社

御祭神
志理太乎宜命 別殿 五十猛命

静岡県の東伊豆町にある。
伊豆半島の東側にあり、伊豆急行の片瀬白田駅の西。
135号線がカーブしている場所に、
道路に面して東向きの境内がある。

地図には「来宮神社」とあり、
鳥居扁額には「来宮社」、拝殿扁額には「来宮神社」と記されている。

鳥居をくぐると、広場のような境内。
参拝は正月二日だったためか、境内にはいくつかの提灯が飾られていた。

境内の西奥、一段高い場所に社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の覆屋の中に本殿がある。
案内によると、覆屋内部には二棟の流造社殿があるらしく
一方は、別殿の五十猛命を祀ったもののようだ。

本殿は、江戸時代中期の作。
拝殿は、明治三十九年十一月に新築され、
その後、数度の修築を経て、平成四年十月十日に大改修を実施したらしい。

創祀年代は不詳。
棟札によると、康永二年(1343)に再建されたようだ。

式内社・志理太(乎)宜神社の論社とされる神社。

(乎)と括弧付きなのは、延喜式の古い写本では「志理太宜神社」とあり
「乎」が無い方が正しいと考えられているため。
また、「宜」は「冝」と書かれる場合があるのだが、
なぜか、境内石碑には「宣」の字が使われていた。

祭神の志理太乎宜命は、
三嶋大神(事代主命)と第三后(佐伎多麻姫命)との間に生まれた
八王子の中の第五王子。『三宅記』には「志たひ」と書かれている神。

因みに八王子とは、
一に「なこ」、二に「加禰」、三に「やす」、四に「てい」、
五に「志たひ」、六に「くら井」、七に「かたすけ」、八に「ひんすけ」という。

鎌倉末期の『三宅記』には、
この八王子は三宅島の丑寅(東北)に生まれたとあり
志理太宜神社(志たひ)は、椎取(しいとり)神社であると考えられている。

当社を式内社・志理太宜神社とする説は、
『三宅記』の存在が知られる以前のもので、
「志理太宜」の名が白田に近いことから、
当社を白田来神社、あるいは白田来浜神社とし、
後に、白田の来宮として、来宮神社と称されるようになったようだ。

当社が式内社・志理太(乎)宜神社で無いのならば、
本来の祭神は別殿に祀られる五十猛命かもしれない。
素盞鳴尊の御子神で、新羅から渡ってきた木の神。
鎮座地の白田が、新羅に近いし、来宮は木の宮だと考えることも可能だろう。


社頭

鳥居

境内

境内

社殿

本殿覆屋

拝殿

境内社殿

境内社

社殿

神 社 誌
社名志理太乎宣神社
 別稱来宮神社
祭神志理太乎宣命
 併祀五十猛命
例祭十月二十五日
由緒 創始不詳 康永二年(一三四三)再
建棟札ノ外棟札多数現存 覆屋内ニ
二棟ノ内宮ヲ安置スル 簡素ナ流レ
造リ一間社 江戸時代中期ノ作ト察
セラレル秀作デ町ノ重要文化財デア

志理太乎宣命ハ事代主命
三宅島ノ丑寅ノ方ノ后佐伎
多麻姫命ノ第五王子デ片菅
命ノ御兄神ニアラセラレル

−境内石碑−



創立年代康永2年11月再建の記録あり。
往古は白田来浜神社又は来宮神社とも称した。毎年12月17日より7日間酒精進の習慣がある。

−『平成祭データ』−



【 志理太乎宜神社 志理太乎宣神社 (東伊豆町)(印刷用ページ) 】

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