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鹽冶神社
えんやじんじゃ
島根県出雲市上塩冶町1749−1  Zenrin Data Com Maps display !!


五三の桐

式内社 出雲國神門郡 鹽冶神社
式内社 出雲國神門郡 鹽冶比古神社
式内社 出雲國神門郡 鹽冶比古麻由弥能神社
式内社 出雲國神門郡 神産魂命子午日命神社
式内社 出雲國神門郡 鹽冶日子命御子燒大刀天穗日子命神社
旧郷社

御祭神
鹽冶毘古命 鹽冶毘賣命 鹽冶毘古麻由彌命 燒太刀天穗日子命
合祀
誉田別命 事代主命 大山祇命 塩冶判官高貞

出雲市駅の近くにある。

通称は、塩冶八幡宮、馬場之宮。
市街地に長い参道が続き、鳥居が幾つかある。

「鹽冶」(塩冶)と書いて「えんや」と読むが、本来は「やむや」。

出雲国風土記に「夜牟夜社」とある神社。
延喜式では「鹽沼」と誤記されている。
この誤記は、他の鹽冶関連式内社にも共通している。

当地は、中世に勧請された八幡宮のあった場所。
鹽冶八幡宮は、いわゆる出雲国八社八幡の第一であるという。
その八幡宮に、鹽冶関連式内社が合祀されている。

合祀されている式内社・鹽冶神社は三代実録では「温沼神」とあり、
貞観十年九月二十一日(868)に従五位下を叙され、
貞観十三年(871)十一月十日、従五位上となっている。

ただし、式内社・鹽冶比古神社以外の鹽冶関連式内社が、
八幡宮に合祀されたという記録はないらしい。

なお、社伝によると、当社の創祀年代は不詳。
鹽冶関連式内社が合祀されていた鹽冶神社神社に
後一条天皇の御代長元二年三月、
時の守護職・塩治頼泰が、八幡大神を勧請して合祀。
正徳三年、松平宣澄公のおり、
西250mの地から現在地に遷座し、社殿を一新したという。

境内は明るく清潔。
参拝中にも近所の御婦人が花を捧げていた。

神紋は五三桐。
『神国島根』によると、松平家より奉納された葵紋が
本殿の御扇の内側に付いているらしい。


市街にある鳥居

社号標

階段上に神門

鳥居扁額

拝殿

拝殿

本殿

本殿

社日

境内社

稲荷社

荒神社

天満宮

例祭日 四月十五日
 当社は大国主命の御孫神である 塩冶毘古命と其の妻神である 塩冶毘賣命を主祭神として御祭り しております。御創建の年代はあま りにも古く、詳しくは判りませんが 地名として塩冶(出雲風土記では 夜牟夜、止屋)の字が始めて用いられ たのは神亀三年(西暦七二六年)で あります。当時、塩冶郷を治め られた産土神様として郷民の崇 敬していたことは明かであり、爾来今日 に至るまで引きつゞき塩冶の郷の氏神様 として信奉して参った次第であります。 尚、鎌倉時代に時の守護職塩冶頼泰公 が武勇を尊ぶ趣意から誉田別命を 合殿に勧請したことにより塩冶八幡 とも呼称されて参りました。

−境内由緒−



【 塩冶神社 鹽冶神社(印刷用ページ) 】

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