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斐代神社
ひしろじんじゃ
島根県出雲市唐川町  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 出雲國出雲郡 斐代神社

御祭神
阿遅須枳高日子命

くにさづちの命 『出雲神社巡拝記』

出雲市(旧平田市)の日本海側、河下町から鰐淵寺方面へ向う。
途中、鰐淵寺と唐川の分岐点を右、唐川方面へ。
さらに走ると、韓竈神社への分岐点があるが、左手へ。
さらに進むと、唐川車庫バス停がある。
そこから鰐淵寺へ抜ける道へ500m程の丘の上。
道路から何も見えないが、山中へ入る道を登ると鳥居が見える。

小川が、ささやかな滝になっている、その向うに祠が見える。

創祀年代は不詳。
式内社・斐代神社に比定されている古社。

当社は、出雲風土記に「斐堤社」とある社だが、
中世不明となっており、近世の考証家によって、
唐川の八王子であると比定され、明治になって復古された。

以前は、韓竈神社に合祀されていたが、
昭和二十三年の遷宮の際、境外末社となった。


参道の鳥居

参道

社殿

境内

 後藤蔵四郎氏の『出雲風土記考證』に「大正三 年岩船神社に合祀された」とある。岩船神社とは、現在の 韓竈神社のことであるが、この韓竈神社に合祀される前 は、平田市唐川町の八王寺瀧の崖にあつた。しかしそれは 『雲陽誌』楯縫郡唐川、八王寺権現の條に「社二尺五寸四 方東向、古は祭日も定めてありつれども、中古より絶て、 今は祭祀の規式もなし」とある如く、既に此頃には衰徴し てゐたものらしい。
『出雲神社巡拝記』には、唐川村の條に「八王寺大明神 記伝斐提社 式伝斐代神社」と記してゐる。現在は、昭和二十 三年の韓竈神社の遷宮と共に再び元の位置に遷り給ひ、八 王寺瀧の横の崖に鎮座されてゐる。
平田市駅下車、一畑バス唐川町下車、徒歩五分。

−案内板より−



【 斐代神社(印刷用ページ) 】

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