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本宮倭文神社
ほんぐうしずりじんじゃ
山梨県韮崎市穂坂町柳平3195  Zenrin Data Com Maps display !!


五七桐


武田菱

式内社 甲斐國巨麻郡 倭文神社
旧村社

御祭神
天棚機姫命 天羽槌雄命
合祀
天照大神 豊受大神 伊弉册命 菅原道眞

山梨県韮崎市にある。
JR韮崎駅から27号線を北東へ7Kmほど進み、
27号線から東へ入ると川の向こうに鳥居が見える。
境内は山の斜面にあり、鳥居をくぐり階段を上ると社殿がある形式。

鳥居扁額には「本宮倭文神社」と刻まれていており、
『山梨県神社誌』にも本宮倭文神社と記されているが、
『平成祭データ』には貴船神社の名で載っている。
後述するが、この地が元は貴船神社の社地であったことの名残りだろうか。
ただし『山梨県神社誌』にも本宮倭文神社の読みは記されていないので、
仮に「ほんぐうしずりじんじゃ」としておく。
ひょっとすると「もとみやしずりじんじゃ」なのかもしれない。

鳥居をくぐり階段を上ると正面に拝殿。
右手に渡り廊下で繋がった神楽殿があり、左手に神輿殿。
参拝は春四月。境内にはまだ桜の花が残っていた。

拝殿の後方に階段があり、階段を上ると流造の本殿。
本殿の左脇に境内社の祠があるが詳細は未確認。
本殿から見下ろすと、新しい拝殿の瓦と桜の花が美しい。

当社は、南西2Kmほどの宮久保鎮座の倭文神社の山宮である
七夕社(天棚機姫命天羽槌雄命)と、
上村組にあった神明社(天照大神豊受大神)、窪村組の貴船社(伊弉册命)、
武田時代の烽火台といわれる城山の天神社(菅原道眞)を、貴船社の社地に合併して、
昭和三十四年、許可を得て本宮倭文神社と改称した神社。

社名や祭神を見ると、倭文神社の山宮・七夕社が中心となっている神社だとわかるが、
この倭文神社に関して『大日本史』には、
「今在宮久保村降宮明神、舊址在柳平村、曰山宮又織女祠。按降・織訓同」
とあり、この山宮・七夕社が倭文神社の元社であり、
柳平から宮久保へ遷座したため、降宮と呼ばれるようになったとある。

賽銭箱には武田菱の紋が付けられていたが、
拝殿や神輿には桐の紋が付いていた。
いくつかの神社が合併した神社なので、
どれが神紋なのか確認できなかった。


社頭

鳥居

鳥居扁額

参道

参道

階段上が境内

拝殿

神楽殿

境内

拝殿後方の階段

本殿

本殿から境内

神輿殿

神輿

倭文神社
祭神天羽槌雄命天棚機姫命
鎮座地・穂坂町大字宮久保字降宮六〇五一
由緒・ 甲斐国所在の延喜式内二〇社の一 甲斐国志には倭文神社降宮明神とある。 穂坂総社といい、郷中で最も格式高い神社 であった、倭文はしずおりで、麻などの繊維を 赤・青などに染めて横糸として織った古代織 物である。穂坂御牧が栄えたころ、御牧の役 人の妻や娘などが中心となって織った精巧 な織物でこれらの女性たちが技芸の上達 を祈るために天羽槌雄命・天棚機姫命を 祀ったのが、この神社の起りである。降宮は おりみやで、織宮を意味する、江戸時代に 幕府は一二石五斗の社領を寄進した。

−参考として倭文神社境内案内板より−



【 本宮倭文神社 (韮崎市)(印刷用ページ) 】

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