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上野國一社八幡宮
こうずけのくにいっしゃはちまんぐう
群馬県高崎市八幡町655  Zenrin Data Com Maps display !!


左三つ巴向鳩

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旧郷社

御祭神
品陀和気命
配祀 息長帯姫命 玉依姫命
合祀
品陀別尊 建御名方命 伊邪那美命 國常立命 天照大御神 菅原道眞 埴山毘賣命

群馬県高崎市にある。
信越本線・群馬八幡駅の西1Kmほどの八幡町に鎮座。
18号線の八幡大門交差点から北へ入ると、
赤い大鳥居が建っていて、扁額には「八幡宮」。

大鳥居から北上(正確には北北西)し、
信越本線の線路を越えて、突き当たりに当社境内の丘。
丘の麓に神門があり、神門の前には「上野國一社八幡宮」と刻まれた社号標。

神門の前で道路が左右に分かれており、
左手に進んで坂道を登ると、社殿のある境内の左側、駐車場に到着する。

徒歩の場合は、神門をくぐり参道階段を登ると、石鳥居があり、
石鳥居の扁額には「八幡大御神」。奥にもう一つの神門がある。
『平成祭データ』には、神門は元は仁王門であったとあるが、
どちらの神門のことだろうか。あるいは両方か。

境内の参道を進むと、右手に赤い神楽殿。
左手に手水舎と赤い大きな鐘楼があり、
参道正面に、どっしりと大きな拝殿がある。

拝殿は銅板葺の入母屋造。
拝殿の中に入り、右手奥に進むと本殿の横に出る。
本殿は極彩色の権現造で、像や龍、獅子などの彫刻が美しい。

参拝は11月の晴天の午後。
空は真っ青で、広い境内はとても眩しかった。

社伝によると、天徳元年(957)、京都の石清水八幡宮から勧請。
当社の正式名は「八幡宮」だが、「やわたの八幡さま」と呼ばれ、
また、古くから一国一社の八幡宮として広く崇敬されていた。

永承年間、源頼義が奥州征伐のおり、当社にて戦勝祈願。
康平年間、頼義の子・源義家(八幡太郎)が戦勝の奉賛として
社殿を修築し、以来、源氏の氏神として崇敬され、
源頼朝は鎌倉幕府開設にあたり神田百町を寄進した。

戦国時代に兵火によって社殿は焼失したが
江戸時代初期に復興され、現在の社殿は宝暦七年(1757)の建造。
徳川幕府より社領百石を寄進され、
社殿修築のため、上野、武蔵、下野の三カ国での勧化を許された。

明治維新までは神仏混淆により、別当神徳寺を中心に社僧・神主・社家あわせて
二十四家による祭祀組織を有していたという。
境内の天満宮は旧本地堂だそうだ。

通常、一国一社の八幡宮は国府八幡宮、国分八幡宮などと同様、
国府や国分寺の鎮守として祀られた八幡宮のことだが、
当社の場合は、どういう理由によるものなのだろうか。

ちなみに上野国府は前橋市元総社町あたり、
国分寺は高崎市東国分町あたりだとされているので、当社からは、やや遠い。

境内の右手には、境内由緒書きによると旧本地堂だったという
天満宮の立派な社殿がある。
ただし『平成祭データ』には養蚕神社が本地堂とあるので
天満宮と養蚕神社が祀られているのかもしれない。

本殿の右手に二十一末社。左手に疫斎神(えきさいじん)。
平成祭データには疫斎神の名前は無いが、
疫斎神には葵紋が付けられていたので、
ひょっとすると東照宮なのかもしれない。

境内左手奥には、当社元宮である地主稲荷社。
地主稲荷社の前に、山王宮が祀られている。
『上野国神名帳の研究』では、上野国神名帳に記載されている
「片岡郡 従四位上 釼前大明神」がこの地主社ではないかと記されている。
八幡町の隣りの剣崎町付近に釼前大明神があったと考えた結果のようだ。

境内のあちこちに通常の三つ巴紋があり、参拝時には三つ巴が神紋だと思っていたが、
下の神門にあった提灯には、三つ巴紋と鳩を組み合わせた紋があり、
『全国神社名鑑』にも神紋は「左三つ巴向鳩」と記されている。


大鳥居

社頭

神門

神門の提灯

参道階段

階段上に鳥居

上にも神門

境内

拝殿

拝殿内

本殿

疫斎神と本殿

本殿右の二十一末社

山王宮(日枝神社)

地主稲荷社

天満宮

上野国
一 社
八幡宮(通称 やわたのはちまんさま)
祭神品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
並神息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
境内 約九千坪
建物
 江戸時代よりの神仏混淆様式を残し、本殿は天地権現造り、宝暦七年(一七五 七年)の建立。天満宮は旧本地堂。
御由緒概要
 天徳元年(九五七年)京都石清水八幡宮を勧請す。当社は古来一国一社の八幡 宮として広く尊崇され、永承年間源頼義・義家奥州征伐のさい戦勝を祈願し社殿 を改修、頼朝また社殿を改修し、神田百町を寄進す。ついで新田・足利・武田・ 豊臣等の崇敬あつく、徳川幕府は朱印地百石を寄進す。明治維新まで別当神徳寺 ほか社僧・社家あわせて二十四家による神仏混淆の神事を執行す。維新後神仏分 離となり、郷社に列せられ、大戦後は宗教法人の神社となり今日に至っている。
御神徳
 当社は尚武の神として崇められていると共に子育て、開運厄除、無病息災、交 通安全、五穀豊饒、商売繁昌、国家安泰を祈念する大神として尊崇されている。
 地主稲荷社は当社元宮で、特別な信仰を得ている。
御宝物
 算額三面 県重要文化財
 胴丸二領 市重要文化財
 境内森林は県及市緑地保全地区に指定
 その他社殿全体・大々御神楽も重要な文化財である。
釣鐘
 昭和五十三年十二月鋳造、神社の釣鐘としては希有なものである。

−境内由緒書より−



上野国一社 八幡宮略記
祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
並神 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)玉依姫命(たまよりひめのみこと)
一、創建
村上天皇(第六十二代)の天徳元年(西暦九五七年)、京都の石清水(男山)八幡宮を勧請したもので、さる昭和三十二年(一九五七年)には御鎮座一千年祭を施行しました。
二、沿革
当社は古くから一国一社の八幡宮として広く尊敬されてきました。代々、源氏の崇敬が深く、源頼義、義家(八幡太郎)が奥州征伐の折り、当社に祈願し、社殿を改築、義家は自分の甲冑を奉納されました。(甲冑現存)。源頼朝は鎌倉に幕府を開くと、当社に神田百町を寄進し、全社殿の改築、杉並木参道の開さく、遠鳥居の建立などを行っております。その後も、武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康といった人達から厚く尊崇をうけたと古書に伝えられています。江戸時代には、三代将軍家光以来、社領百石の朱印状をうけ(朱印状現存)、それより別当神徳寺を始め、社僧・神主・社家あわせて二十四家、神仏混淆による天下泰平・五穀豊饒・商売繁昌の祈祷を修め、毎年七十五回の神事を営み、広く人々の尊信をうけました。(宝物・古文書多数現存)。明治維新の改革で、神仏分離となり、郷社に列せられ、さらに今次大戦後は宗教法人による神社となって、今日に至っております。
三、御神徳
武神としてのほまれが高いが、もともと八幡さまは子育ての神で、人の生誕を祝うおめでたい神です。転じて万物発生の霊位をあらわし、それにより物事のはじめに当たって、邪をしりぞけ、生成発展を祈念する神となります。農事にあっては五穀豊饒を、商売にあっては繁昌を、人事にあっては無病息災、開運倍盛を、そして社会、国家の安泰を祈念する大神です。何ごとも始めが大切で、一念発起して事を大成しようとするには、まず身を浄め、心を安らかにして神の前にぬかずくことが大切なことであります。
四、建築物
当社の建築、結構はいわゆる神仏混淆式で、仏殿様式の建物も残存する由緒深いものです(例えば、もと本地堂の養蚕神社、もと仁王門の神門、鐘楼、拝殿内の護摩堂などです)。本殿は権現造で宝暦七年(西暦一七五七年)御鎮座八百年に当たり、十年を要して新築されたもので、西北隅にある地主稲荷神社は古社として名高いものです。境内約八千坪の大半は杉の古木にかこまれ、うっそうたる神域は自ずと襟を正させるものがあります。
五、大々御神楽
当社創建当時のものは中絶し、現在のものは宝暦四年、京都の神祇管領職に出願してもとの型に復したものです。能型式をとりいれた古式ゆかしい御神楽で、祭日には神楽殿で地元有志により奉納されます。平成元年三月八日に高崎市重要無形民族文化財第一号に指定されました。
六、祭日
一月十五日 新年大祭、四月四日夜 地主稲荷祭、四月五日 春まつり、七月二十九日 みそぎ 大祓、十月十五日 秋季例大祭、十二月一日 ばいじょう祭(神穀感謝祭)
七、重要文化財
算額三面が県指定史跡となっており、そのうち文化七年奉納のものが関東最古のものです。社殿全体も重要な文化財として丁重に保存されております。胴丸二領が昭和四十七年五月十八日に高崎市重要文化財に指定されました。

−『平成祭データ』−



【 上野国一社八幡宮 (高崎市) 】

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