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長彦神社
ながひこじんじゃ
岐阜県大垣市上石津町一之瀬2288−1  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐


三つ巴

式外社 長孫神 三代実録
旧郷社

御祭神
志那津比古神 志那津比女神

岐阜県大垣市にある。
関ヶ原駅の南8Kmほどの上石津町一之瀬に鎮座。
365号線を延々と南へ下り、名神高速を越え、牧田川を渡る。
365号線は2度、牧田川を渡るが、
2度目に渡ってすぐ、川西の交差点で、牧田川に沿って左折すると
川に面した境内が見えてくる。

緩やかな坂道に面して鳥居が建ち
鳥居の左手に「長彦神社」と刻まれた社号標。
広い境内の左寄りに入口があり、
鳥居をくぐると正面に社殿。右手は広場になっている。

拝殿は入母屋造。その後方、玉垣の中に流造の本殿。

参拝は年末の休日。
境内の隅や、社殿の屋根に雪が残っており、
川の側にあるせいか、背筋が伸びるほどの寒い日の午後。
境内の木々も、葉が落ちて寒々としていた。

だが、燈籠の屋根や境内隅の石には
ドキッとするほどに青々とした苔が生えていた。
苔は寒さに強いのだろうか。

社伝によると、
天武天皇白鳳四年(675)四月、
『全国神社名鑑』によると、白鳳四年から和銅元年までの間に
小柴美濃王と佐伯広足によって
大和国の龍田の風神を勧請したのが創祀。

三代実録に、貞観十一年十二月五日、正六位上長孫神とあり
美濃国神名帳に、従四位上長彦明神とある古社で
いわゆる国史現在社。

明治三十三年郷社に列した。

境内の右手奥に、砲弾型の忠魂碑があり、
その横に境内社・神明社の祠が一つある。

社殿の屋根には、三巴紋の装飾が付けられていたが
『全国神社名鑑』には、神紋は桐紋と記されている。
桐紋の種類が分からないので、五七桐を掲載しておく。


社頭

鳥居

境内

社殿

社殿

本殿

忠魂碑と神明社

神明社

境内

長彦神社由緒
御祭神
志那津彦神志那津媛神
 別に息長津彦命、息長津媛命とも申しあげ、風の神としての御功 徳は全国に遍く 五穀豊穣、風禍防災、安全守護の神として崇敬さ れています。
御由来
 当社は、今を去る千三百年のむかし、天武天皇白鳳四年(六七五年) 四月に当郡の人佐伯連廣足によって、大和国平群郡立野に祀られた 龍田の風神を、神託によって当地「たつの」の宮山に斎き祀られた と伝えられています。以来、氏子の崇敬いよいよ篤く、神威ますま す隆昌をたどり、平安時代貞観十一年(八六九年)十二月五日に長彦神 社には従五位下を授けられたと三代実録に記されており、更に八十 年後には従四位上を授けられたことが美濃国神明帳にあきらかです。 以後江戸時代に及び長彦大明神とも流彦大明神ともよばれ、幾度か の御造営、御遷宮が行われたことが棟札に記されています。
一、明治三十三年十月一日 郷社に昇格
二、昭和 三年社殿の改築 境内の整備
三、昭和四十年外玉垣の造営
四、昭和五十一年社務所改築
五、昭和五十六年大鳥居の造営 軕倉改築
六、昭和六十年神社本庁よりモデル神社指定を受ける
神事
例祭四月四日元旦祭一月一日
祈年祭一月十七日新嘗祭十一月二十三日
境内社
神明神社御祭神 天照大神
忠魂碑明治以後太平洋戦争に至る戦没将兵の英霊を祀る

−『平成祭データ』−



【 長彦神社 (大垣市)(印刷用ページ) 】

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