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計仙麻大嶋神社
けせんまおおしまじんじゃ
宮城県本吉郡南三陸町歌津字樋の口150  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 陸奥國桃生郡 計仙麻大嶋神社 名神大
式内社 陸奥國牡鹿郡 計仙麻神社
旧郷社

御祭神
迩迩藝命

宮城県の南三陸町にある。
歌津駅の北西、南三陸町と本吉町の境界にある、
田束山(512m)の山頂近くに鎮座。

田束山には史跡が多く、
山頂にはレストハウスもあり、
綺麗に舗装された車道(林道)が続いている。

曇天の早朝、車を走らせ、
レストハウス近くの大きな駐車場に到着。
霧が出てきて、山頂からの眺めは期待できなかった。

駐車場の側、林の中が境内。
入口には赤い鳥居が建ち、
境内は草に覆われてひっそりとしている。
到着した頃は、境内には深い霧で霞んでいたが、
参拝中に、消えてしまった。
霧で幻想的な光景を写真に残しておけば良かったと後悔。

それでも、空気は瑞々しく、ため息の出そうな空間。

境内には軽トラックが止まっており、
林の奥から枝を伐採する音が聞こえていた。

明治四十三年の火災により焼失し、
現在の社殿は簡素なコンクリート造。

創祀年代は不詳。
坂上田村麿や源頼義・義家父子東征のおり、
祈請を受けたという。

田束山は仁明天皇の承和年間(834頃)開山の
天台寺中腹宗の山であり、山岳霊場。
山頂近くからは平安期の経塚群が発見されている。

平泉の藤原秀衡は、霊山として深く崇敬し、
山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束山寂光寺、
北嶺に幌羽山金峰寺を建立。
七堂伽藍七十余坊を置き、
わが子本吉四郎高衡に山神の祭祀を司らせたという。

当社境内は、中腹の寂光寺跡の近くにある。

藤原氏の滅亡とともに衰微したが、
中世、葛西氏の時に再興。
が、葛西氏の滅亡後は荒廃してしまった。

当社は、式内社・牡鹿郡計仙麻神社であるとする説、
式内社・桃生郡計仙麻大嶋神社であるとする説がある。

境内の右手には、石祠があるが詳細は不明。
昔は、境内社として稲荷社・大国主社があったようだが
明治期に火災により焼失したまま。

境内左手には田束山寂光寺跡がある。


境内入口

境内

社殿

社殿

田束山寂光寺跡

石祠


【 計仙麻大嶋神社 (南三陸町)(印刷用ページ) 】

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