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瀬戸比古神社
せとひこじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町直海ス68  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ鱗

式内社 能登國羽咋郡 瀬戸比古神社
旧村社

御祭神
素都乃奈美留命

能登半島の志賀町にある。
能登道路の徳田大津I.C.から直線で北西4Kmの直海に鎮座。
道路を走ると、6Kmくらいはあるかもしれない。

直海から栗山へ向う道の辻に社号標があったので、
車を止めて探すが、見当たらず。
地図で確認すると、そこから300m北にあるようだ。

境内入口に神門があり、その後ろに鳥居。
そこから階段を上ると境内がある。
境内の正面中央に社殿。後方に本殿。

拝殿の額には『鬼門太社 瀬戸比古神社』と記されている。

社伝によると、崇神天皇の御宇の創立。
高志国造であった素都乃奈美留命を祀る神社。

また、養老2年、能登国を設置するにあたり、
山上に巣くう魑魅退治を祈ったとも。

白山宮・白山権現とも称されていた神社。
明治の神社明細帳に、『鬼門除神社』とも記されている。
いったい、何に対して鬼門(北東)に位置するのだろうか。
能登一宮である気多大社からは北にあるのだが。

祭神は前述のとおり、素都乃奈美留命。
一説には、主祭神は速秋津比古命で、素都乃奈美留命を配祀。
式内・瀬戸比古神社の論社であるから、祭神は素直に瀬戸比古神だと思うが。
「素都(すつ)」と「瀬戸(せと)」は同じ言葉なのだろうか。

社殿には鱗紋が付けられていた。


少し遠くにある社号標

神門と鳥居

鳥居

境内

社殿

社殿

本殿

瀬戸比古神社社誌碑
祭神素都乃奈美留の命
由緒 当社は崇神天皇の御代の創建とされ、 延喜式内社と傳える。往昔は観音堂、 白山権現とも稱され、直海保二十箇村 の惣鎮守であった。
歴代武将の崇敬も篤く、天文四年(一五三五年) に当地の領主国沢六郎兵衛徳長が社殿 の造立を行なった。寛永六年(一六二九年) には藩老村井飛騨守長家が社殿の修理 と社地境内に保護を加えている。
盛時は社家、社僧、巫女百五十余名に 及んだと言うがその多くは退轉した。 社職は祭神の後裔素都氏が累代奉仕し て今日に至っている。
明治六年(一八七三年)直海白山神社と改 稱したが明治三十五年(一九〇二年)瀬戸 比古神社の旧社号に復した。御神徳は 古今に輝き、今に近在の氏子崇敬者か ら深い信仰が寄せられている。
例祭 四月十八日 春季例大祭
九月十八日 秋季例大祭
一月一日 元旦祭
三月十八日 鎮火祭
六月五日 五穀豊穣祈願祭
七月十三日 納涼祭
十二月三日 新穀感謝祭

−社前案内石碑−



【 瀬戸比古神社 (志賀町)(印刷用ページ) 】

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