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須須神社 高座宮
すずじんじゃ たかざのみや
石川県珠洲市三崎町寺家4−2  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢

式内社 能登國珠洲郡 湏湏神社
旧県社

御祭神
天津彦彦火瓊瓊杵尊 美穗須須見命
建御名方命 保食神 武甕槌命

能登半島の先端部、石川県珠洲市寺家にある。
珠洲市の中心部から10Kmほど。
海岸沿いの道を走ると、道路脇に鳥居が見える。

入口付近は駐車スペースになっており、
奥の森の入口に鳥居が立つ。
森の外は、陽光に満ちた世界だが、参道は暗く静か。
鬱蒼とした参道を歩くと正面、階段上に社殿。

三崎権現とも呼ばれた神社。

また、当社は高座宮と称し、
すぐそばにある金分宮と合わせて須須神社と呼び、
山伏山山頂には、奥宮がある。

崇神天皇の御代、高座宮は男神を、金分宮は姫神をそれぞれ祀って、
両社とも山伏山の同一の社殿に創建され、
天平勝宝年間(749〜756)に寺家に遷り二社に分かれたという。

また、三代実録貞観十五年に記載の高倉彦神は、
当社、高座宮のことであるとも考えられ、
高座宮は、「たかくらぐう」とも読まれている。

現在の祭神は、瓊瓊杵尊であるが、
上記の事情により、高倉彦神とも考えられる。
高倉彦神は、高麗からの帰化人・高倉氏の氏族神。

神紋は梅鉢のようだ。
拝殿や本殿の屋根に金色の紋が付いていた。

参拝は10月の朝。鳥居の正面に、朝日が昇った頃。
鳥居をくぐって振り返ると、真正面に太陽が見えた。
とても印象的だったのでタイトル画像にしてみた。


東向きの境内入口

境内と鳥居

参道鳥居

参道と社殿

参道の白山社

境内

拝殿

本殿

須須神社 (珠洲市三崎町寺家鎮座)
 《縁起》
御祭神 高座宮

金分宮
天津日高彦穂瓊瓊杵尊
美穗須須美命
木花咲耶姫命
(あまつひだかほこににぎのみこと)
(みほすずみのみこと)
(このはなさくやひめのみこと)
 当社は高座宮・金分宮の両社にご夫婦の大神を祀り、須須神社 と称し「三崎権現」・「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海 の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな 御社であります。
 第十代崇神天皇(約二〇〇〇年前)の御代能登半島最東北端の山 伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座 した国史現在社・延喜式内社であります。
 古代より縁結びの神として、世に知られており、この「むすび」と は単に男女の仲を結ぶだけでなく生成化育、修理固成という日本民 族の根本精神である神業を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子 孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)様であります。
 かように、生業繁栄・五穀豊穣・大漁・交通安全・学業成就・縁 結び・安産・育児・病気平癒・槌児祈願・鬼門除け等の大御稜威( おおみいつ)あらたかな日本海の守護神とし、古くから三崎大権現 として深く信仰されています。
 《宝物》
木造男神像五躯(国重要文化財)
 鎌倉時代のもので、素朴でいずれも表情を異にし写実美をおびた衣冠束帯の座像です。
社叢(国の特別天然記念物)
蝉折れの笛と守刀(義経の笛を弁慶の守刀)
 文治三年(一一八七年)源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉へ下向 の際、須須岬沖合で時化に会い無事難をのがれた御礼として、平家 の名宝とも伝えられる義経愛用の笛と弁慶が寄進した「左」銘入り の守刀です。
義経・弁慶の献詠
 「都より波の夜昼うかれきて道遠くして憂目みる哉」 義経返歌「憂目をば藻塩と共にかき流し悦びとなる鈴の御岬は」
前田利家公献詠
 「ほうくわん殿この笛をこのすずのやしろにささげ給へとなん ありしよのそのあらましをきくからに袖さへぬれてねにそなかるる」
法華経八巻
 文明一二年(一四八〇年)蓮如上人の奥方真如院(幼名蓮能)が一 六歳の時、父の七回忌を祈念し納経されたものです。
 他、翁面(古珠洲焼)、隠切支丹崇拝像、古文書(県指定有形文化財) 七〇余通があります。

−境内案内−



【 須須神社高座宮 (珠洲市)(印刷用ページ) 】

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