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伊波太岐神社
いわたきじんじゃ
滋賀県長浜市木之本町古橋2  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 近江國伊香郡 伊波太岐神社
旧村社

御祭神
保食神 伊弉諾尊

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある。
木之本駅の東4Kmほどの古橋に鎮座。
己高山の西麓、高時川の近くに己高庵という宿泊施設があり、
そこから東へ1Kmほど林道を進む。

『式内社調査報告』には、1mほどの林道で
「熊が出るので注意」とあったので、
参拝は雪に降る冬の日。己高庵近くに車を止めて歩く。

だが、林道は舗装されており、車でも入れるかもしれない。
木立の中の林道は確かに熊も出そうな雰囲気だが、
清々しい風が吹いていて、気持ちの良い道だった。

しばらく歩くと石の参道があり、
階段を上ると、石組の上に境内。

境内には、真新しい鳥居が立っており、
奥に本殿が一つ。
残念ながら、雪除けのためか、本殿はオレンジのビニールシートを纏っていた。
湖北地方の神社では、冬の日は、
このようにシートで覆われた社殿が多いのだ。

当社の社号の表記は、資料などには「伊波太岐神社」とあるのだが
鳥居の扁額には「伊波太伎神社」と刻まれていた。
「伊波太岐」と書いて、「イワタキ」と読むらしい。

創祀年代は不詳。

社伝によると、
吾は保食の神である。吾を祀れば、白熊を使いとして
当地の悪獣・毒蛇をのぞき、当地を開拓することを助けると、
当地住民に神の告げがあり、神霊を祀ったのが創祀であるという。

後、お告げの通り、白熊が出現し、悪獣を悉く退散させたといい、
当地の小字を、神使熊山という。

式内社・伊波太岐神社に比定されている古社。

境内は、行基が開いたという法華寺の跡にある。
法華寺は、明治の神仏分離によって破棄され、
本堂跡に当社本殿がある。
社号は、岩滝とも記されており、本来はもっと奥の
岩や滝を祀ったものではないかと思うのだが。

相殿に祀られている七所神社は、法華寺の鎮守権現社。
開祖行基の来訪を迎えた2人の翁(熊野、白山権現の化身)と
世代、横山、大音、大宮、二宮の合わせて七権現を祀ったものらしい。

明治九年村社に列した。

境内には、境内社らしき石祠が一つ。
『式内社調査報告』には、秋葉神社、稲荷神社、高龗神社(龍王夜叉池)と記されている。


参道

参道

参道

鳥居

社殿

境内社

参道脇の法華寺跡

法華寺跡
 神亀元年(724年)行基が薬師如来を本尊と して創建し、その後伝教大師(最澄)が寺坊を修 復して日光、月光菩薩をはじめ十二神将を刻し て祀ったと伝えられています。
 興福寺文書によると、僧房百二宇衆徒五十口 とあり、当時の己高山惣山の院主を務めるなど 己高山七ケ寺の最有力寺院として小谷城主三代 の帰依深く、また豊臣秀吉や徳川家康の庇護を受 け格式を誇っていたと伝えられています。

−案内板より−



【 伊波太岐神社 (木之本町)(印刷用ページ) 】

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