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川田神社
かわたじんじゃ
滋賀県甲賀市土山町頓宮769  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ槌

式内社 近江國甲賀郡 川田神社二座 並名神大 月次新嘗
旧村社

御祭神
倭姫命
配祀
猿田彦命 豊受姫命 素盞嗚命 天照皇大神 倉稲魂神

滋賀県甲賀市にある。
草津線・甲賀駅の北東7Kmほどの土山町頓宮に鎮座。
新名神高速・甲賀土山I.C.の北1Kmほどの場所。
1号線から少し北へ入った場所に境内がある。
「頓宮」という地名は、
当社の東500mの位置に伊勢斎王群行の垂水頓宮跡があるため。

境内は南向きの林の中。
境内入口の鳥居脇には「川田神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと頓宮公民館があり
さらに進むと広い境内。
境内右手に社務所があり、左手に手水舎。
境内北奥に社殿がある。

社殿は最近修築されたようで新しい木の色。
本殿を納めた覆屋で、庇が前に張り出して拝殿を兼ねている構造。

参拝は天気の良い年末の休日の朝。

社伝によると、
仁和元年四月、伊勢国滝原大神を勧請し
川田神社滝大明神と称したといい、
往古は高安大明神とも称した古社。

東隣の土山町前野の瀧樹神社の由緒によれば
倭姫命天照大神の御杖代として甲可日雲宮に遷られた時、
甲可翁が朝夕の御饌を調進するため
瀧樹神社境域に屋舎を建てたが
その後、倭姫命が坂田宮に遷られた後
屋舎内に遺された玉串を天照大神として祀り
別宮(当社)に倭姫命を祀ったとあるらしい。

また、前野の瀧樹神社は、永久元年(1113)同じく伊勢国滝原大神を勧請し
こちらも川田神社滝大明神と称していたらしく
瀧樹神社を東ノ宮とし、当社を西ノ宮とも呼ばれているらしい。

式内社・川田神社の論社の一つ。
式内社であれば、三代実録に
「貞観元年正月二十七日奉授近江国従五位下川田神従五位上」
と記されている神社ということになる。

明治九年、倭姫命の御禊の川である白川に因んで 川田神社と改称された。

社殿の右手前に境内社を納めた建物があり
内部に4つの祠が納まっていたが、詳細は不明。
『平成祭データ』には日雲神社の名が記されていたが
4つの中のどれかだろうか。
また『式内社調査報告』には猿田彦神社、垂水神社の名がある。

境内隅には神宮遥拝所があり、
奥に「竜神様出土場所」という場所がある。
昭和五十六年九月の発掘と記されているが
竜神像でも出たのだろうか。詳細は知らない。

覆屋の中の本殿に「槌紋」を染めた幕が掛けられていた。


社域

鳥居

境内の鳥居

境内

社殿

境内社

本殿

覆屋

神宮遥拝所

竜神様出土場所


【 川田神社 (甲賀市土山町)(印刷用ページ) 】

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