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三重生神社
みおうじんじゃ
滋賀県高島市安曇川町常磐木1239  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊

式内社 近江國高嶋郡 三重生神社二座
旧村社

御祭神
彦主人王 振媛

滋賀県高島市にある。
安曇川駅の北西3Kmほどの安曇川町常磐木に鎮座。
安曇川の南岸を東西に走る車道のそばに境内がある。
車道から南へ一本ずれて、300mほどの
緑の参道が続く。

「三重生」と書いて「みえう」「みおう」などと発音するらしいが、
現在は「みょう」という曖昧な発音になっているという。
また、御霊権現とも、三つ子の母の社とも呼ばれるとも。

参道を歩き、境内に入ると、正面に拝殿。
後方に三間社流造の本殿がある。

創祀年代は、不詳。
式内社・三重生神社に比定されている古社。

祭神は、応神天皇の五世孫・彦主人王と
その妃である垂仁天皇七世孫・振媛。

振媛出産の折、彦主人王の夢に三尾大明神のお告げがあり、
「この度天より授かる子は天孫の大いなる迹をふむべき男子なり」と。
そこで山崎社(三尾神社)の拝殿を産所として南天に祈られ、
無事に、彦人、彦杵、彦太の三子を安産されたという。
故に、当社は「三重生」と称され、安産の神でもある。

ちなみに、三男の彦太が、後の継体天皇

例祭日は四月十八日。昔は祭神二柱の命日にあたる二月十八日に行われ、
「近江なるうしの祭りのこととへば 如月なかば雪は降りつつ」
詠まれた牛の祭が行われるらしい。

境内社は3つ。
本殿の右手に、足羽神社(足葉神)。
本殿左手に、気比神社(仲哀天皇)、その後方に垂井神社(廏戸皇子)。

境内に、鎌倉時代のものと思われる花崗岩の宝塔がある。


鳥居

参道

石造宝塔

境内

本殿

拝殿

本殿

垂井神社

気比神社

足羽神社

式内社 三重生神社
御祭神彦主人王・振媛
境内社足羽神社・気比神社・垂井神社
例祭日四月二十九日
縁起 彦主人王は、応神天皇の五世の孫にして、よく神道を修められ、三國の坂中井 から垂仁天皇七世の孫振媛を迎えて妃となさいました。当社はこの二神を奉祀 しています。
王は、余暇に山狩や河漁を楽しまれたと伝えられています。
振媛が三子をご出産になるとき、彦主人王の夢に三尾大明神のお告げがあり、 「この度天より授かる子は天孫の大いなる迹をふむべき男子なり」と。そこで 山崎社(三尾神社)の拝殿を産所として南天に祈られ、また、王も自ら北の仮 社で北極星にお祷りされたので、彦人、彦杵、彦太の三子を安産されました。
故にこの社を三重生神社と呼ばれるようになり、今に安産の神として崇めら れる由縁です。
御子が五歳のとき、彦主人王が薨られたので振媛は彦杵と彦太をお連れにな って越前高向館にお帰りになり、養育されていましたが、十三年後、振媛も薨 られました。二柱とも二月十八日が御命日であり、明治維新までこの日を例祭 日としていました。薨 長男彦人王(天迹部皇子)は、この地で成長され紃史(刺史)となって北越五 ヶ國を治められました。三男彦太尊は、後の二十六代継体天皇男大迹の天皇) となられました。
勅使の詠まれた御歌(古来勅使参向の社)
 「近江なるうしの祭りのこととへば 如月なかば雪は降りつつ
  近江のやうしの祭りのこととへば 志らゆう花を雪とまかへて」

−参道石碑−



【 三重生神社 (高島市)(印刷用ページ) 】

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