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総社神社
そうしゃじんじゃ
新潟県佐渡市吉岡793  Zenrin Data Com Maps display !!


亀甲に八つ剣

佐渡國総社

御祭神
伊弉諾尊 伊弉冉尊 素盞嗚尊 誉田別命 天太玉命
大己貴命 少彦名命

『佐渡国寺社境内案内帳』
惣社大明神

佐渡島の西のくびれ、旧真野町にある。
真野役場から国分寺に向う道。
神紋は拝殿にあった紋だが、自信はない。

市街地の道路脇にあるとは思えないほど、緑が美しい。

創祀年代は不詳。
佐渡国の総社として、往古は 惣座大明神と呼ばれた神社。

昔は国司が佐渡へ入る と必ず全島の式内社を巡拝したが、
各社を ここに合祀して総社といい、
国内官社九社に事ある時はまずここで 儀式を行ったという。
よって、祭神は佐渡式内九社の各社の祭神のはずだ。

もとは中沢田八社林(国分寺付近)に鎮座し ていたが、
地頭本間氏の領地の敷地に遷座したらしい。

ところで、佐渡には式内社は九社あるのに、
なぜ「八社林」なのだろうか。

たとえば、一宮である度津神社は別扱いだったのだろうか。
あるいは、式内社二社が一社に祀られていたのだろうか。
越敷神社は、もと三宮・引田部神社の近くにあったらしい)


境内

拝殿

社号標

本殿

井戸

総社
律令時代、国司がその任務の一 つとして、国内神祇を巡拝する ことになっていたが、後世便宜 上国衙の近くに諸神を勧請した 神社が総社である。
この総社もはじめは佐渡国衙( 檀風城址)の近くの八社林に鎮 座したものを、徳治二年(一三 〇七)吉岡地頭本間氏によって 現地に移されたものという。

−境内案内(新)より−

総社神社由緒
 創立は詳らかではないが、往古は 惣座大明神といい、文化中(一八〇 四〜一八一八)総社の一号に改めら れた。もと中沢田八社林に鎮座し ていたものを地頭本間氏の領地東 西二七間(約四九メートル)南北六二 間(約一一二メートル)の敷地に遷座 し、例年流鏑馬(やぶさめ)の神事を 奉納した。昔は国司が佐渡へ入る と必ず全島の式内社を巡拝する ならわしであったが、□の□各社を ここに合祀して総社といい、国内 官社九社に事ある時はまずここで 儀式を行い、ちょうど京都の神 祇官のようであったと伝えられる。
(□は、文字消えで読めず。)

−境内案内(旧)より−



【 総社神社(印刷用ページ) 】

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