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銭洗弁財天 宇賀福神社
ぜにあらいべんてん うがふくじんじゃ
神奈川県鎌倉市佐助2−25−16  Zenrin Data Com Maps display !!


波に三鱗

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御祭神
本宮 市杵島姫命
奥宮 弁財天

神奈川県鎌倉市にある。
鎌倉駅の北西1Kmほどの佐助に鎮座。
鎌倉駅から西へ進み佐助の交差点で北上するが車は一方通行で入れないようだ。

その道をまっすぐ進むと、やがて坂道になり、
坂道の途中、岩壁の前に当社の鳥居。
左手に「錢洗辨財天 宇賀福神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居の奥はトンネルの参道。トンネルをくぐると当社境内がある。

境内を奥へ進むと授与所があり、授与所の隣りに当社の本宮。
本宮に向って左手に岩窟があり、岩窟の中に奥宮が祀られている。

「銭洗弁財天」として全国でも有名な神社。
平日にもかかわらず多くの参詣客で賑わっていた。
奥宮のある岩窟の中に泉があり、その泉で銭を洗って使うと
何倍にもなって返ってくると言われている。

僕もお札を洗って財布に入れていたのだが、
うっかりとして、しばらく使わずに放置していたせいか、
お札が増える事は無かった。

創祀年代は不詳。
社伝によると、鎌倉幕府を樹立する源頼朝は、
戦乱により疲弊した人民の暮らしを憂い神仏に祈りを捧げていたが、
文治元年(1182)、巳の月、巳の日、夢枕に一人の老人が現われ、
西方の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ、自分はその隠里の主である宇賀福神であると告げた。
そのお告げの通り霊水が発見され、宇賀福神を祀ったのが当社の起源であるという。

その後、鎌倉幕府の執権となった北条時頼も、この宇賀福神を信仰し、
「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」がすべての人々に福徳が授けられる日だと調べ、
この日に人々が参詣することをすすめたため、弁財天を信仰する者たちが率先して参詣し
銭洗井で銭を洗い、一族の繁栄と子孫長久を祈ったといい、
弁財天の功徳によって北条氏が鎌倉幕府に支配者になれたという伝説もあるらしい。

宇賀福神(宇賀神)は、宇迦之御魂神と同神。
穀霊あるいは食物全般の神であり、やがて豊穣、豊漁の神となり、
さらに衣食の神、福神へと姿を変えた神。

農業に不可欠な水を支配する蛇神とも考えられ、
インドの水神であり蛇神である弁財天と習合。
あるいは龍蛇を意味する梵語の「宇迦耶」と結びついたという説もある。

『相模風土記』には、
「隠里。村の西方佐助谷にある大岩窟を云ふ。往古夜中に人語の響あり。
聞くに悉く吉事のみを語りしと云ふ。又窟中に銭洗井と云ふあり、
福神此の水にて銭を洗ふと云伝ふ。鎌倉五水の一なり」とある。

銭洗井以外の鎌倉五水(鎌倉五名水)とは
梶原太刀洗水(朝比奈切り通し坂の手前。頼朝の命で上総介平広常を討った梶原景時が太刀を清めた水)、
金龍水(山ノ内にあった)、日蓮乞水(名越。清水を求めた日蓮が杖を突きさしたところに湧き出た)、
不老水(山ノ内にあった。仙人が飲んでいたという)あるいは甘露水(山ノ内)。

永く弁財天の名で親しまれていたが、明治の神仏分離令により
市杵島姫命を祭神とする神社となった。

当社の神紋は「波に三つ鱗紋」。社殿などには単に三つ鱗のみの紋が付けられていた。
三つ鱗紋は北条氏の家紋だが、江ノ島龍神の落とした鱗という伝説もある。

境内社は、七福神を祀った七福神社。
小さな滝の上下に水神を祀った上之水神宮と下之水神宮。


社頭、社号標と鳥居と参道入口

参道のトンネル

トンネルを抜けると鳥居

本宮。左手に奥宮岩窟

岩窟入口

岩窟内部

奥宮入口

奥宮

七福神社

下之水神宮

上之水神宮参道入口

上之水神宮

鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社御由緒
 鎌倉駅の西方、佐助ヶ谷の奥にある銭洗弁財天は、その霊顕あらたかなることを以って、広く世に 知られています。 鎌倉幕府の始祖源頼朝公(一一四七〜一一九九)は、平家を討伐して治承七年(一一八三)幕府を樹 立しましたが、永い戦乱によって国民の生活は苦しくなっていました。これを憂いた頼朝公は、人々 の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って、日夜お祈りを捧げたのです。そのうち、文治元 年(一一八五)の巳の月の巳の日に不思議なことが起こりました。
 一人の老人が頼朝公の夢枕に現われて、「ここから西方の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間 から湧き出しています。そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。この水こそ は真の神の霊水なのです。この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、 悪鬼や邪鬼も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。私こそは隠里(かくれさと)の主である宇 賀福です。」というとその姿を消しました。目を覚した頼朝公は、心から宇賀神を敬い、夢のお告げ の通りに西北の谷に泉を見つけました。そこに岩窟を掘らせ、宇賀神をまつり、その水を使って神仏 の供養を続けると国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起りだといわれて います。
 その後、正嘉元年(一二五七)巳の年の仲秋に、時の執権北条時頼公は、頼朝公の信心を受け継い で、隠里の福神を信仰しました。その時、公は「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」がすべて の人々に福徳が授けられる日だと調べ、この日に人々が参詣することをすすめたということです。 また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行 いを慎しめば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家 繁昌、子孫長久を祈りました。以来七百余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとしても天下に聞こえ、 四季の参詣者は絶える事はありません。

−境内由緒書−



銭洗弁財天 宇賀福神社
●祭神本宮市杵島姫命
奥宮弁財天
●創建文治元年(1185)
 巳の年の文治元年(一一 八五)、巳の月、巳の日、 源頼朝に宇賀福神の夢のお 告げがありました。「西北 の谷に湧き出す霊水で神仏 を供養せよ。天下は泰平に なるであろう」
 お告げの通りにこの地に 湧き水があったので、さっ そく宇賀福神を祀り、その 水で神仏の供養を行ったこ とが、創建の由来だといわ れています。
 この湧き水でお金を洗っ て使うと、何倍にもなって 返ってくると信じられてい ます。鎌倉五名水の一つです。

−社頭案内板−



【 銭洗弁財天 宇賀福神社 】

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