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香取神宮
かとりじんぐう
千葉県香取市香取1697  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

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式内社 下総國香取郡 香取神宮 名神大 月次新嘗
下総國一宮
旧官幣大社

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御祭神
經津主大神
相殿
武甕槌命 比賣神 天兒屋根命

千葉県香取市(旧佐原市)にある。
香取駅の南2Kmほど、佐原香取I.C.の北1Kmの場所。

当社から北へ2Km、利根川の側の鳥居海岸に、当社の浜鳥居がある。

香取の古名は、「楫取」と書く。
意味は不明だが、一般には舵取りの意味と考えられている。
当地は利根川の側に位置し、霞ヶ浦から鹿島灘への要衝にある。

創祀の年代は不詳。
大和朝廷の東国支配が進む中、武勇の神である
武甕槌神鹿島に、経津主神を当地・香取に祀ったもの。
大化の改新以後、全国に神郡が設置されたが、
当地域は、香取神郡となった。

主祭神は、経津主神、一名、伊波比主命。
伊波比主は、斎主とも書かれ、
『日本書紀』では、天津甕星という悪神を征する「斎」の大人とされるが、
一説には、神を祀る人を意味するとして、
他の神、たとえば物部の遠祖饒速日尊、たとえば鹿島大神などを祀る神であるとも、
奉斎の対象である神霊であるとも。

この神に関する伝承は複雑なので、ちょっと整理してみた。
葦原中国平定に関して、
日本書紀九段本文
磐裂根裂の子、磐筒男磐筒女が生んだ神で、
葦原中国平定の為の使いとして選ばれた丈夫。
選ばれなかった武甕槌神が、自薦により同伴する。(経津主神が主)
日本書紀九段一書(第一)
武甕槌神・経津主神がともに派遣される。(並立)
日本書紀九段一書(第二)
経津主神・武甕槌神が派遣される。
天にいる悪神・天津甕星、別名天香香男を、「主」に制圧する神。(経津主神が主)

古語拾遺
経津主神・武甕槌神が派遣される。(並立)

先代旧事本紀
経津主神に武甕槌神をそえて派遣される。(経津主神が主)

古事記
建御雷之男神のみの派遣。(建御雷之男神が主)
建御雷之男神の別名を建布都神・豊布都神といい、
神武東征の際に、建御雷神が下した剣の名を、佐士布都神・甕布都神・布都御魂という。
つまり、経津主神は、建御雷之男神と同じ神、あるいは御魂であると思われ、
剣がモノを「フツ」と斬る機能、または剣そのもの。
また、布都御魂は石上神宮に祀られているともあり、物部氏との関係も示唆されている。

出雲國造神賀詞
天之夷鳥命に、布都怒主命を副えて派遣される。(天之夷鳥命が主)

これらのことから、
もともと、経津主命が派遣の主体であったが、
後に武甕槌命が加えられ、次第に、その主役が交代したと思われる。
武甕槌神が中臣氏(藤原氏)の祀る神であり、
経津主神が、物部氏に縁の神であれば、その流も理解できる。

また、斎主ということから、本来は女性であって、
伊勢内宮・外宮と、鹿島・香取を関連付ける説もある。

さらに、舵取から、尾張系の海部(物部氏)と見る説など、さまざま。

神紋は桐紋。『官國幣社 例祭之由来と神紋』では、「七七」とあるが、
楼門の幕には「五七」の桐だった。

当社へ向かう車道に一之鳥居があり、
大駐車場から、土産物屋の間を歩いて、朱の二之鳥居がある。
二之鳥居から緩やかにカーブする参道を歩くと、三之鳥居と神門。


参道入口・二之鳥居

三之鳥居

神門

神池

楼門

神門の先にある、朱の楼門をくぐると、
正面に、黒地に金縁の社殿が鎮座している。
鮮やかな朱の楼門と、黒社殿のコントラストが非常に美しい。


社殿

拝殿

拝殿

本殿

御神木

二之鳥居をくぐって、すぐ左手に護国神社への参道があり、
護国神社の横を抜けると、押手神社の小祠の前に、
石の垣に囲まれて、「要石」がある。
要石は、鹿島神宮で有名で、地震を起こす鯰を抑えたものとされているが、
当社の要石は凸形、鹿島神宮の要石は凹形をしており、
一説には、地下で繋がっているともいう。
とすると、霞ヶ浦の口を閉じる形で、要石が存在するわけだ。面白い。


要石

要石

二之鳥居の前の駐車スペースの左手の狭い坂道を登ると、奥宮が鎮座している。
経津主神の荒魂を祀り、伊勢神宮の古材を用いて社殿が造られている。


奥宮神域

奥宮

奥宮社殿

その他、境内には幾つかの境内社がある。確認したものは、
香取護国神社、押手神社(宇迦之御魂神)、
市神社(事代主命)、天降神社(伊伎志迩保神 鑰神)、
馬場殿神社(建速須佐之男命)、諏訪神社(建御名方命)、
鹿島新宮(武甕槌命 天隱山命)、櫻大刀自神社(木花開耶姫命)、
匝瑳神社(磐筒男命 磐筒女命)、六所神社(須佐之男命 大國主命 岐神 綿津見神 雷神)
璽神社(宇迦之御魂神)、大山祇神社(大山祇命)。

確認していないものは、
姥山神社(一言主命)、佐山神社(田心姫神)、狐坐山神社(命婦神)、
王子神社(御兒神)、裂々神社(磐裂神 根裂神)、日神社(天照大神)、
月神社(月予見命)、三島神社(香取連三嶋命)、

境外の摂社は、
佐原市大倉に第一摂社・側高神社(側高神 )、
佐原市又見に又見神社(天苗加命 天押雲命 武沼井命)。
佐原市津の宮に忍男神社と勝男神社。
佐原市大戸に大戸神社(天手力雄命)、佐原市返田に返田神社(軻遇突智神 埴山姫神)。


護国神社

摂社・鹿島新宮

末社・押手神社

末社・市神社・天降神社

末社・馬場殿神社

末社・櫻大刀自神社

摂社・匝瑳神社

末社・諏訪神社

香取神宮御由緒
<鎮座地>千葉県佐原市香取
<御祭神>経津主大神(フツヌシノオオカミ)(又の御名伊波比主命)<イハヒヌシノミコト>
<御事歴>大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。
<御神徳>古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。奈良の春日大社、東北の鹽竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。
<御社殿>宮柱の創建は神武天皇御宇十八年なる由香取古文書に記されている。去る昭和三十三年四月、御鎮座二千六百年祭が盛儀を以て斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元録十三年(西紀一七〇〇年)、徳川綱吉の造営に依るものである。昭和十五年、国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて、御屋根茸替・漆塗替が行われた。構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。
<境内>香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は一二三、〇〇〇平方米(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉鬱蒼として森巌の気自ら襟を正さしめる。

−『平成祭データ』−

香取神宮の北方・津宮河岸に、利根川に面して
津宮鳥居(高さ9.4m)が建っている。
鳥居のそばには、指定文化財の常夜燈も。


津宮鳥居

常夜燈


【 香取神宮 】

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