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六之丞八幡宮
ろくのじょうはちまんぐう
栃木県足利市板倉町
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栃木県足利市にある。
足利駅の北西1Kmほどの板倉町に鎮座。
67号線を北西に7Kmほど進み、
渡良瀬川の支流、松田川にそって北東へ2.5Kmほど。
板倉橋を渡って東へ200mのあたりに、
「羽黒古墳」への案内板と庚申がある。
その脇の小道を進むと、境内がある。
参道の途中から右手へ進むと羽黒古墳だが
参道を直進すると鳥居が建っている。
鳥居扁額には「六之丞八幡」とあり、
さらに参道を進んだ階段の上に社殿が建っている。
社殿の右手には「濟世救民者丈夫之本懐」と刻まれた由緒石碑があるが
一部よく読めないので転載はあきらめた。
当社は文化年間(1804〜1818)の創祀。
当地の義民・堀江六之丞命とその妻・よねを祀る神社。
創建当初は堀江神社と呼ばれていたようだが、
現在は、六之丞様、六之丞八幡と呼ばれているらしい。
高木若狭守正恒の領地であった板倉村は、
寛保元年(1741)天候不順の為凶作となり、
村民は年貢減免を願い出たが、逆に増税される事態となった。
堀江六之丞は農民たちの説得にあたったが聞き入れられず、
農民たちは五十部村の代官所へ嘆願した。
ところが、代官所では堀江六之丞を事件の煽動者と決めつけ、
捕えて拷問を行い、寛延三年(1750)八月二十二日
松田河岸において斬首してしまったという。
堀江六之丞の妻・よねは、
夫の無罪と代官の横暴を直接江戸の藩主へ訴えようとしたが、
江戸で処刑されてしまった。
後に藩主がことの顛末を知り、代官を処分して板倉村の年貢を減免した。
一説には、堀江六之丞は農民たちの総代であったとも、
妻・よねは直訴したが認められず帰郷の後に自殺したとも伝えられている。
その後、村内で不吉な事件が起こったため、
堀江六之丞夫婦の祟りであると恐れられ、
文化年間(1804〜)羽黒山山頂に祠を建てて祀ったという。
羽黒古墳への入口に庚申群 | 参道 |
参道 |
鳥居 | 扁額に「六之丞八幡」 |
社殿 | 由緒石碑 |