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風間神社
かざまじんじゃ
長野県長野市風間字宮河原781  Zenrin Data Com Maps display !!


梶の葉

式内社 信濃國水内郡 風間神社
旧村社

御祭神
伊勢津彦命 級長津彦命 級長戸辺命 建御名方命

長野県長野市にある。
長野駅の東4Kmほどの風間に鎮座。
34号線(長野菅平線)の西風間交差点から西に入った場所に
南向きの境内がある。

境内入口には朱の両部鳥居が立ち、
鳥居の右手に「延喜式内風間神社」と刻まれた称号標。

鳥居をくぐると正面に社殿。
拝殿は入母屋造だが複雑な屋根構造。
拝殿後方の本殿は流造。

本殿の左には保存樹木のケヤキの木と伊勢宮。
本殿の右には猿田彦社と天満社の石祠。

参拝は10月初旬の曇天の朝。

創祀年代は不詳。
一説には、神代の昔とも神武の頃とも伝えられる古社。
式内社・風間神社に比定されている神社で
当地の開拓の際に祀られたという。

社伝によると、当社は『日本書紀』に記されている水内神とされ
持統天皇五年(691)勅使が遣わされ、
諏訪大社と共に風祝(かぜのはふり)の勅祭が行われた。

ただし、水内神は水内郡の名神大社で
水内大社とも称される健御名方富命彦神別神社のこととする説もある。

また、当社は『三代実録』に記されている飄別神とも考えられ
いずれにしろ、風神を祀る神社であると思われる。

諏訪神家の庶流・矢島忠直が神領の庄司となり
風間氏と称し、平家滅亡のときに本領を失った。
高倉天皇の時、風間橘五というものが
新潟県東頸城郡に直峯城を築き諏訪神を勧請。
南北朝時代には新田氏に呼応し南朝に殉じた。

社宝として石神像二体と薙鎌、舞楽面がある。

社殿の屋根には巴紋が付けられていたが
拝殿内には梶紋の幕があり、
『全国神社名鑑』には「梶の葉」が神紋と記されている。

摂末社に関しては
『全国神社名鑑』には末社八社とあり
『式内社調査報告』には、伊勢社、金刀比羅社、天村雲社、
猿田彦社、天神社、三宝荒神社、伊勢社の名がある。

このうち、天村雲社は摂社のようだが参拝時に気付かなかった。


社頭

鳥居

境内

拝殿

本殿

境内

伊勢宮とケヤキ

猿田彦社、天満社

延喜式内社
風間神社 由緒
醍醐天皇(九二七年)の御世、延喜式という書物が有り、 その中の神名帳は全国に存在した神社名が書かれていて、 この神社が延喜式内社・或いは式内社と称されています。 登録神社は三一三二座で、信濃には四八座、水内群(郡の誤記)には 風間神社外八座です。『風間神社』は、日本の正史と言 われる「六国史」に、推古天皇五月八日(五九六年)に は『竜田風神信濃須波・水内神を祀らしむ』とみえてい ます。そして清和天皇貞観二年二月(八六〇年)『飄別 神に叙位』の事が書かれています。
この『水内神』『飄別神』はいずれも風間神社で有ると 言われています。
祭 日
元旦祭(元始祭)勅使祭
奉告祭春祭(祈年祭・五社祭)
夏祭(祇園祭)風鎮祭
例大祭秋祭(新嘗祭・伊勢宮祭)
越年祭(大祓)

−境内案内板−



【 風間神社 (長野市)(印刷用ページ) 】

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