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松尾神社
まつおじんじゃ
長野県小県郡長和町大字長久保字宮所791  Zenrin Data Com Maps display !!


一つ葵

旧郷社

御祭神
大山咋大神

長野県の長和町にある。
長和町役場長門庁舎の南東1kmほどの長久保に鎮座。
142号線から少し北へ入った場所に鳥居と社号標があり、
社号標には「郷社松尾神社」と刻まれている。
鳥居は木製だが、足の部分が赤く見えているのは金属の補強。
笠木や貫は木製で、足は金属で覆われ、稚児柱は石でできているハイブリッドだ。

鳥居をくぐり参道を進むと、良い感じの木の橋が小川にかかっている。
依田川の支流・五十鈴川だろうか。
橋を渡ると境内の左手になるので、社殿は左手。
正面には靖国霊社や日露戦争戦没者慰霊碑が立っている。

拝殿は入母屋造の平入り。
拝殿の前に御神木の保存樹・椹(サワラ)があり、脇に大きな石。
拝殿の後方、斜面に廊下があり、
少し高い場所に、垣に囲まれて流造の本殿がある。
現在の本殿は長門町指定文化財。
諏訪の宮大工・三代立川和四郎富重の建築で
万延元年(1860)再々建されたもの。

拝殿の由緒書きによると、以前は、長久保の町裏、
大欅の森にに鎮座していたが小学校の垣帳のため、
昭和三十三年五月、現在地に移転したらしい。
その時、略式の四神の祭祀があることが発見されたともあるが、
どういう意味か、良くわからない。
祭神が四柱だったということだろうか。

創祀年代不詳。
正親町天皇弘治三年(1557)に再建された記録があることから
数百年の歴史のある古社であることは明らかだろう。

山城国松尾大社の分霊を祀った地方の古社で、
拝殿の由緒書きに日本三社と記されていた。
日本三大松尾神社ということだろうか。
一つは松尾大社だろうが、もう一つはどこだろう。

酒造の神として尊崇され、酒造を生業とするものの参拝が後を絶たず、
慶長以来、上田城主真田氏の崇敬篤く社領を寄進。
諸侯の参勤交代の際には当社参拝を常とした。

明治五年郷社に列格。

拝殿内の幕に、丸に一つ葵の紋が染められていた。
京都の松尾大社の神紋は二重葵なので、当社の神紋も葵なのだろう。

社殿の右手に境内社が並んでおり、その横に塞神などの石祠。
境内社は左から、市神社、産泰社、伊雑皇社、
金比羅社、八幡神社、白山社、白山神社。

拝殿の左手には、境内社の立派な注連柱があり、
変わった形の注連縄がある、
その奥、本殿の左手には山神社と社名未確認の境内社。
『小縣郡史』に記されている宗像社だろうか。


社頭

鳥居

参道

橋を渡る

境内左手から入る

正面には靖国霊社

拝殿

斜面の廊下

社殿左の境内社の鳥居

社殿前に石

社殿左の境内社

本殿

境内

社殿右の境内社

塞神などの石祠

社殿右の境内社

社殿右の境内社

松尾神社
長久保新町字町裏にあり。祭神は大山咋命。祭日、九月二十日。創建年代詳ならず、山城國葛野郡松尾神社 より勧進し。往古より松尾神社と稱し、此地に永く鎮座せり。本社は酒造守護の神なれば酒造を業とせる者 皆之を尊崇し賽客常に絶えず。社領四斗二升九合あり。神職秦宿禰正明は山城國松尾神社の神主東正三位相 命の祖先より分家せしものにして、代々本社に奉仕し、以て今代に及べるなりと云ふ。境内社に八幡社・伊雑 社・琴平社・宗像社あり。明治六年四月郷社に列す。同四十一年十月二十七日會計法適用指定。本殿・拝殿・鳥 居を具備し、境内千五百六十三坪。氏子二百十八戸。

−『小縣郡史』−



【 松尾神社 (長和町)(印刷用ページ) 】

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