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皇足穂命神社
すめたるほのみことじんじゃ
長野県長野市信州新町里穂刈字穂刈沖287−1  Zenrin Data Com Maps display !!


梶の葉


三つ巴

式内社 信濃國水内郡 白玉足穂命神社
旧村社

御祭神
迩迩藝命
相殿 健御名方命 八坂刀賣命 倉稲魂命 大山祇命

長野県長野市(旧信州新町)にある。
長野駅から南西に、19号線を24Kmほどの里穂刈に鎮座。
犀川が大きくうねってカーブしている場所にあり、
犀川にかかる穂刈橋の北詰、19号線から少し南へ入った場所に境内がある。

境内入口は、犀川に面して南西向き。
土手沿いの道路から階段を下ると境内。
朱の両部鳥居が立ち、右手に「延喜式内 皇足穂命神社」と刻まれた社号標。

境内の奥、というか杜の奥、
木々の懐に抱かれるように、堂々とした赤い屋根の社殿。
拝殿の右手に、白い神庫。
拝殿の後方に、石の垣に囲まれた流造の本殿がある。

参拝を終え、振り向くと暗い境内の奥
鳥居の向こうに、土手の道があり、
道の向こうに、犀川対岸の森が見える。

式内社・白玉足穂命神社の論社の一つ。
「白玉」は「皇」の誤記だと思われ、
延喜式・享保八年刊本では「白玉」を「皇」記しているが
他の写本では「白玉」。

創祀年代は不詳。
社伝によると、当地方草創のみぎり、
某が神夢のお告げにより、新たに土田を開き、
稲穀を播き、神徳を尊崇して一社を創建したという。

創建当時は、山穂刈の皇足山に鎮座し、
「皇足穂命神社」と称していたが、
萬壽四年(1027)大風雨により皇足山東南部が崩落し
社殿等が罹災、社地も狭隘となったので
長元元年(1028)八月、現在地に再建された。

その後、犀川の洪水により、数度、社殿等が流出したが
その都度、氏子により再建された。

文政年間、神職無識により「穂刈神留(ほかりかんとめ)神社」と改称。
明治二十九年四月、願い出て「皇足穂命神社」に戻したらしい。

神庫の前に、境内社の祠が一つあるが詳細は不明。
境内右手には、神々を祀った石碑が並んでいる。
刻まれた文字は、金毘羅大権現、秋葉、道祖神、大國主神、庚申。

神倉の壁に三つ巴紋と梶紋が彫刻されていた。
表に巴紋、裏側に梶紋で、巴紋が重要な紋なのかと思ったが、
拝殿の屋根にも、両紋が付けられており
屋根では梶紋が中央にある。


社頭

鳥居

拝殿

石碑

本殿

本殿

境内


【 皇足穂命神社 (信州新町)(印刷用ページ) 】

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