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久佐奈岐神社
くさなぎじんじゃ
静岡県静岡市清水区山切字宮平101  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 駿河國廬原郡 久佐奈岐神社
旧郷社

御祭神
日本武尊
配祀 弟橘姫命 吉備武彦命 大伴武日連命 膳夫七掬胸脛命

静岡県静岡市にある。
ちょっと前までは清水市だったところ。
東名高速、清水I.C.の北東に直線3Kmの山切に鎮座。
清水駅からは、一号線をしばらく東へ走り、
山切川あたりで北上し、JRを越えて、高速も越えて、
山切川に沿って走る。
当社境内は、川沿いの道から、東へ入った場所にあり、
なかなか分かりにくいかもしれない。
当日、僕は場所が特定できていなかったので、
地図にある近辺の神社をすべて回るつもりで参拝していたので、
当社への適切な道を、うまく説明できないのが残念。
もう一度行っても、迷うかもしれない、そんな場所だった。

で、道に面して参道入口の鳥居が立ち、
鳥居の側に、案内板がある。
参道は木々の茂った緑の道。
参道突き当たりにも鳥居があり、広い境内中央に拝殿。
拝殿の後方、一段高い石垣の上に、垣に囲まれた本殿がある。

創祀年代は不詳。

社伝によると、日本武尊東征のおりに、当地に本宮を設けたといい、
その後、供の吉備武彦命が、当地を統治し、
社殿を築いて、日本武尊を祀ったのが、当社の起源。

一説に、日本武尊に随った多くの諸神を祀ったため、
九万八千社とも呼ばれていたといい、
昔は、祭の時に、九万八千の幣帛を奉っていたらしい。

式内社・久佐奈岐神社に比定される神社で、
同じく式内社である有度郡の草薙神社に対して、
東久佐奈岐神社と称していたが、
明治になって久佐奈岐神社と復称した。

境内の左手に、幾つかの末社を納めた祠というか社殿がある。
中には、小さな祠が並んでおり、それぞれに社名が記されていた。

左から、天満宮、九万八千霊社、今宮社、白髭社、金刀比羅社、
稲荷社、雨之宮社、津島社、事比羅社、雨之宮社。

本殿の屋根に、桐紋と、もう一つの紋が見えたが、
良く分からない形。
『全国神社名鑑』にも神紋は記されていなかった。


境内入口

参道

境内から参道

境内

拝殿

境内

境内左に複数の境内社を納めた祠

本殿

式内 久佐奈岐神社
鎮座地清水市山切字宮平一〇一番地
御祭神日本武尊
合祀弟橘媛命 吉備武彦命
大伴武日連命 膳夫七掬胸脛命
由緒
庵原川流域は古代には廬原の国と呼ばれ、その政治的中心となったのが、庵原 古墳群の立地する丘陵に囲まれたこの平野であります。
当社は人皇第十二代景行天皇の時代(西暦一一〇年、約一八八四年前)に詔勅により 皇子日本武尊が東征の途中この地に本宮を設けたとされる旧蹟の地にあります。
創立年代は古くして不詳ですが、東征の副将軍として活躍した、吉備武彦命が 後に其の功績により廬原の国を賜り、尊の縁り深いこの地に社殿を造営し 日本武尊を祀ったのが創祀とされ、其の後お供として東征に随行した 姫、弟橘媛命を初め諸神を合したものと考えられております。
文献上の記録では風土記に第十三代雅足彦(成務天皇)の元年(西暦一三三年、約一八六一年前)に官幣を奉ると あり、異本類聚六国史に清和天皇、貞観元年(西暦八五九年、一一三五年前)久佐奈岐神社従二位を 授くとある。延喜式(平安時代初期の儀式や制度を定めた律令の施工細則) 神名帳には廬原郡三座(久佐奈岐神社・御穂神社(三保)・豊積神社(由比))と記載されており、 式内社であります。
昔は有度の草薙神社に対し、東久佐奈岐神社、或いは東久佐奈岐大明神等と称えら れたこともありましたが、明治六年郷社に列せられてからは、今の社名となっております。
御神体
本殿に四柱の御神像が鎮座されており、これは朝廷より賜った貴重なもので 開披してはならないとの言伝があります。
境内社
稲荷社宇迦之御魂命
白髭社武内宿弥
天満宮菅原道真
雨之宮天之水分神 国之水分神
津島社須佐之男命 稲田比女命
金刀比羅社金山彦命 大国主命
今宮社素嗚命 稲田比女命
九万八千霊社東征軍の御供の諸神
事比羅社金山彦命 大物主命 少彦名命
雨之宮社志那都比古命 志那都比賣命

−参道案内より−



【 久佐奈岐神社 (静岡市)(印刷用ページ) 】

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