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御井神社
みいじんじゃ
兵庫県養父市大屋町宮本字高尾481  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國養父郡 御井神社
旧村社

御祭神
御井神
配祀
脚摩乳命 天穂日命 素盞嗚命 手摩乳命 熊野櫲樟日命 田心姫命
奇稲田命 天津彦根命 天忍穂耳命 市杵島姫命 活津彦根命 湍津姫命
配祀(神社明細帳) 大屋彦命 大屋姫命 抓津姫命

兵庫県の養父市にある。
山陰本線・養父駅から南西に、直線で10Kmほど。
道なりに進んで20Kmほどの大屋町宮本に鎮座。
大屋川に沿って6号線を西へ進む。
途中、6号線は明延川沿いの道になるが、
そのまま6号線を進み、
大屋町宮本で279号線に入って東へ進むと、
279号線が大きくカーブしている箇所にある小山の上、
御祓山(773m)の南西麓に境内がある。

参拝は、五月の連休。
参道入口の鳥居脇には、幟が掲げられていたが
例祭日が近い(あるいは終わった)頃なのだろうか。

「式内 御井神社」という扁額のある鳥居をくぐり、
参道坂道を上ると随神門がある。
山道の参道には、境内社の小祠が幾つか散在しており、
それぞれの小祠には社名が掲げられている。
確認したものは、厳島神社と諾册神社。
もう一つ、子安神社と思われる小祠があったが
撮影した写真のピントがボケていて
「子安」の「子」の字の部分が不鮮明なので確認できず。

さらに参道を進むと、
参道右手に階段があり、階段の上には八幡神社と小祠。

さらに参道を進むと、広い境内がある。
境内には、石灰だろうか、白い粉が撒かれていたので
足元に注意しながら、参拝開始。

境内左右にも幾つかの境内社があり、
中央奥に、当社の社殿。
拝殿の後方に、入母屋造の本殿がある。

創祀年代は不詳。

もとは現社地の北東2Kmにある
御祓山山頂に鎮座していたといい、
山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。
当時は、
大屋谷十二ヶ村、建屋谷十四ヶ村の総社として崇敬された神社で、
岩井牛頭天王社とも称していた。

天文年間に火災にあい、社殿を喪失。
それを契機として、現在地に遷座したという。
当社の遷宮札には、
天文十五年(1546)四月八日に遷宮と記されているらしい。
ただ、伝承によると、天文以前にすでに現在地に移っており
現在地で火災にあったとも。

養父郡の式内社・御井神社に比定されている古社。

陰暦一月十四日に行なわれる当社の追儺祭は、御船祭とも呼ばれ、
伝説では、往古、この地が泥海であった頃、神船が行方不明となり、
諸神が松明をかかげて捜索した故事を模したもの。
氏子の男子が、集団で松明を手に
「ないつそーやまーいつそー(無いぞや、もう一艘)」と唱えつつ踊り
3匹の鬼が、それに呼応して踊る。

建屋谷の船谷地区では、この船捜索の祭に呼応した形で
「あつたーあつたー」と唱える祭があったという。

境内社殿の左にある境内社は、
稲荷神社・天神社・山神神社・加遲屋神社。
右の境内社は、若宮神社、鈴鹿神社。

『兵庫県神社誌』には、確認した境内社の他に
田村神社、大己貴神社、須賀神社の名前が記されている。


鳥居

随神門

参道の厳島神社

参道の祠、子安神社?

参道の諾册神社

八幡神社と小祠

白い粉が撒かれた境内

社殿

本殿

境内右に境内社2社

境内左に境内社4社


【 御井神社 (養父市)(印刷用ページ) 】

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