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佐伎都比古阿流知命神社
さきつひこあるちのみことじんじゃ
兵庫県朝来市和田山町寺内435  Zenrin Data Com Maps display !!




十六菊

式内社 但馬國養父郡 佐伎都比古阿流知命神社二座
旧村社

御祭神
佐伎都比古命 佐伎都比古阿流知命
相殿 大国主命

兵庫県朝来市(旧和田山町)にある。
山陰本線・養父駅の東4Kmほどの和田山町寺内に鎮座。
円山川に沿って南東へ1.5Kmほど進み、
糸井橋を渡って、10号線を北東へ。
糸井小学校あたりで北へ入っていく。

境内隣には、光福寺というお寺がある。
ちょっとわかりにくいが、光福寺の参道階段の左横に、
当社境内へ続く参道があるので、農道のような小道を進むと
小さな丘の森の前に、当社の鳥居が見える。

鳥居をくぐり参道階段を上ると境内。
境内奥の高い場所に、覆屋の中に納まった本殿がある。

社殿の前には、小さな猿の像が左右に向かい合って座っている。
当社の通称は、日枝明神、山王権現と言うらしく、
山王神の神使の猿が、狛犬替わり。

創祀年代や由緒は不詳。

式内社・佐伎都比古阿流知命神社に比定されている古社。
延喜式には「佐伎都比古阿流知命神社二座」と書かれており
当時は、二柱の祭神を祀っていたようだ。

主祭神は、社号の通り、佐伎都比古阿流知命。
『日本書紀』垂仁天皇八十八年紀に以下の一文がある。

昔、一人の人が船に乗って但馬国にやって来た。
どこの国の人か、とたずねると
「新羅の国の王子、名を天日槍という」と答えた。
その後、但馬国に留まり、
但馬国の前津耳の娘・麻挓能烏を娶り
但馬諸助を産んだ。

この前津耳が、佐伎都比古命であり
佐伎都比古阿流知命は、その妻であるという。
一説には、佐伎都比古命は前津耳の祖であり、
佐伎都比古阿流知命は、佐伎都比古命の御子であるという。
いずれにしろ、延喜当時の祭神は、
佐伎都比古阿流知命と佐伎都比古命の二柱だったのだろう。

ただし、『神祇全書』では、
彦主人命と振姫命の二柱と記されている。

また、『古事記』では前津耳は多遅摩の俣尾の娘で、
天日槍の妻であると書かれており、
女性だと考えられている。

『日本書紀』によると、垂仁天皇に天日槍の神宝を献上した清彦は、
天日槍の曾孫にあたり、上記の諸助の孫。
清彦が献上を躊躇った唯一の神宝の刀(出石)は、
淡路島の祠に祀られ、今も由良湊に出石神社が存在する。

当社の神紋は、葵紋と菊紋。
葵紋は山王の神紋であり、当社が山王権現と呼ばれることによる。

また、相殿の大国主命は元禄三年(1690)
光福寺の單心和尚によって合祀されたが
その神像は徳川家秘像のものであり、
この光福寺は、家光側室尼芳心院によって再建されたといい
徳川家との関係が深いことも葵紋の由来であるらしい。

境内社は3つ。
参道脇の稲荷社と思われる祠。
境内右手の荒神社。社殿右手の若宮社。


参道入口、右が光福寺入口

社域

鳥居

境内、右下に荒神社(素盞嗚尊)

本殿は覆屋の中

本殿

社殿前の猿像

狛猿

境内右の若宮社(誉田別命)

参道脇の境内社(稲荷?)


【 佐伎都比古阿流知命神社 (朝来市)(印刷用ページ) 】

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