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與佐伎神社
よさきじんじゃ
兵庫県豊岡市下鶴井字上ノ山2456  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國城崎郡 與佐伎神社
旧村社

御祭神
依羅宿禰命 配祀 保食命

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の北、直線で3Kmほどの下鶴井に鎮座。
円山川の東岸、玄武洞の1Kmほど南にあり、
下鶴井の集落の奥、山の斜面に境内がある。

民家の間の参道を進むと、石鳥居。
鳥居の脇には「下宮家屋敷跡」があり、
昔は、社家がここにあったようだ。

鳥居をくぐり参道の階段を登ると境内。
ひっそりとした境内は、綺麗に維持されており
雑草もなく清潔な空間。

拝殿の後方に流造の本殿があり
本殿の扁額には『伊與永大明神』と書かれていた。

社殿の右手、境内社との間に、石が祀られていた。
傍らの由来石碑によると、
昔、向かいの山が崩落した時、
御幣が飛来し、大きな石に明かりが灯ったという伝説があり
土地改良工事の際に掘り出されたものらしい。
ところで、この石が「光った石」だということが何故わかったのだろう。
今でも光るのだろうか。

創祀年代は不詳。

式内社・與佐伎神社に比定されている古社。
本殿扁額にあるように、以前は伊與永大明神と称していた。

祭神・依羅宿禰命は、開化天皇の皇子・彦坐王の後裔。
『特撰神名牒』では、宇麻志麻遅命を祭神としているらしい。

本殿の後方に、朽ちた階段(らしきもの)があり、
上の方に、何かがある。
注意しながら登ってみると、朽ちた門だった。
門の後には、雑草や茂み、岩などがあるだけだったが、
昔は、この上に社殿があったのだろうか。

帰宅後、資料で確認すると、
明治二十三年十月六日、大洪水のため
本殿の裏手で山崩れがあり、社殿が大破したらしい。
社殿は破壊されたが、結果的に、そこで土流は止まり
集落への被害が無かったという。

門の後の岩は、その当時の土流の残骸だろう。


参道

鳥居

参道

参道脇の下宮家屋敷跡

境内

境内

扁額『伊與永大明神』

社殿

境内。本殿後方に階段

石と境内社

後方階段上に門



門から本殿を見下ろす

門の後方に岩


【 与佐伎神社 與佐伎神社 (豊岡市)(印刷用ページ) 】

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