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幡日佐神社
はたひさじんじゃ
京都府南丹市八木町氷所字中谷山1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 丹波國船井郡 幡日佐神社
旧村社

御祭神
品陀別命 氷室命

京都府南丹市にある。
八木駅かた北東へ直線で3Kmほどの八木町氷所に鎮座。
ルート上の距離では4.5Kmほど。

477号線を東へ進み、大堰川を渡ってさらに3Kmほど東へ。
408号線へ入って、三俣川を渡り、北西へ1.5Kmほど。
さらに408号線から集落の奥、北へ進むと、
山の麓に大きな神域がある。

鬱蒼と茂る木々の中に鳥居。
鳥居扁額には、「氷室 幡日佐 両神社」と記されており、
当社が氷室神社と幡日佐神社の合併神社だとわかる。

鳥居をくぐって、階段を上ると広い境内。
境内右手には、稲荷神社の赤い鳥居が並んでおり、境内中央に拝殿。
拝殿の後方、階段上に本殿がある。
本殿の屋根は、基本的には流造だが、
中央部に破風が付いていて、美しいフォルムだ。

創祀年代は不詳。

鎮座地の裏山の北・神吉は、謡曲『氷室』にも有名な氷室の地。
毎年六月一日には、製造保存した氷を京都御所へ献上しており
氷室大明神が祀られていて、
鎮座地・氷所にも、その分霊に祀られ、氷所大明神と称していた。

元明天皇の和銅年間、美濃田の幡谷山(あるいは中谷山)に
八流の幡が天下り、その一つが氷所大明神の境内樹にかかり
金色の光を放っていた。
これを瑞兆として、以後は幡久と称するようになったという。

『幡久大明神縁起』には、一筋の金光が三つに分かれて
「久」の字になったため、幡久となったとも、
八流の幡は、八幡大菩薩の霊験であるとも記されているらしい。

後、戦国動乱期に氷室大明神が焼失したため当社に合祀し、
天正十九年(1591)八月二十七日、
故宮の地にあった社を、現在地に移転遷座したという。

一説には、氷室神の合祀は寛文九年であるとも考えられ、
氷室は氷所と神吉との入会地であったが、
その頃、神吉の土地であると裁定されたため、
氷所では「土地の代わりに神をもらった」と伝えられているらしい。

以後、氷室幡久両所大明神と称していたが
明治九年、式内社であることから幡日佐神社と改称した。

異説として、『式内社の研究』で志賀剛は、
秦氏と曰佐氏の祖神を祀った神社であると記している。

本殿右手に、若宮神社があり、さらに小祠がある。
社頭案内には、境内に諏訪神社があると記されているので、これが諏訪社だろう。

本殿左手には粟嶋神社。境内の左手には稲荷神社の赤い祠がある。
また、境内に丸い石も祀られていた。


社域

鳥居

扁額に「氷室 幡日佐 両神社」

参道

境内

境内

拝殿

社殿

粟嶋社と本殿と若宮社

粟嶋社と本殿

本殿と若宮社

粟嶋社

若宮社と諏訪社

境内左手の稲荷社

境内の石

当社の500mほど南、川の側に、旧社地である故宮遺跡がある。  Zenrin Data Com Maps display !!
氷室神社の古跡で、小祠と灯籠と「故宮遺跡」と刻まれた石碑が建っている。


故宮遺跡

故宮遺跡

延喜式内 幡日佐神社
祭神品陀和氣命
氷室命
元明天皇の和銅年間中谷山より光芒燦として 幡のたなびくが如く霊感あり天長地久の瑞兆 なりとして氷所明神の名を幡日佐大明神と改 め故宮よりこの神域に奉遷した寛文九年氷室 命を合祀し古来式内社として弘く崇敬を聚め た例祭は十月廿一日で神功皇后三韓征伐の史 實に倣い神幸の神事流鏑馬など古式によって 伝えられ穀物の豊凶を卜うことになっている
攝末社若宮神社
粟島神社
稲荷神社
諏訪神社
應仁天皇
少彦名命
宇賀御魂神
諏訪大明神
祭儀祈年祭
粟島祭
氷室祭
例祭
新嘗祭
二月十一日
四月三日 九月三日
七月一日
十月廿一日
十一月廿三日

−社頭由緒板−



【 幡日佐神社 (南丹市)(印刷用ページ) 】

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