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宇良神社
うらじんじゃ
京都府与謝郡伊根町本庄浜191  Zenrin Data Com Maps display !!


五三の桐

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式内社 丹後國與謝郡 宇良神社
旧郷社

御祭神
浦嶋子 配祀 月讀命 祓戸大神

京都府の伊根町にある。
丹後半島の東側、
若狭湾に面した本庄浜から筒川を西へ遡って1Kmほどの場所にある。
178号線から東へ入った場所で、
社前には「水之江の里 浦嶋公園」がある。

公園の脇に参道があり、参道を南へ下ると境内。
砂利の境内を歩き、石橋を渡って
鳥居をくぐると正面に大きな社殿が見える。

社殿は、拝殿と後方に本殿。
本殿は神明造の大きな神殿で
右前の足の下に、井戸のような穴が開いているいるのが面白い。

境内の右手には「蓬山の庭」と名付けられた砂の庭がある。
御祭神・浦嶋子が訪れた「とこよ」を模したものらしい。

社伝によると、淳和天皇の天長二年の創建。
浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが創始。

浦嶋子は、丹後国与謝郡筒川の庄の浦嶋太郎の子で
その太祖が月読命の子孫。当地の領主であったという。

よって、一般には浦嶋神社と称されている神社で
式内社・宇良神社に比定されている古社。

浦嶋子の伝説は、いわゆる浦嶋伝説。
雄略天皇二十二年秋七月、
浦嶋子は仙亀にひかれて海神の都にたどりつき
そこで347年間、乙姫と共に暮らしたが
淳和天皇の天長二年、再びこの地に帰って来た。

その後、乙姫からもらった玉手箱を開けたところ
紫の雲煙があらわれ、それまでの紅顔の美少年が
たちまち痩せ衰えた老翁となり、亡くなったという。

当社の神宝には、浦嶋伝説に関するものが多く、
乙姫の小袖や玉手箱などが残っているらしい。

『京都府与謝郡誌』によれば、
当社は旧浦嶋五社明神とも呼ばれ
浦嶋子・乙姫夫妻と、父の浦嶋太郎、
伯父の谷次郎、曽父の今田三郎の五柱を祀り
その本地仏である如来・菩薩・天部の五体の仏像があったらしい。

弘安三年八月遷宮。
永正三年から明治十八年までの間に十一回の造営があった。

「蓬山の庭」などに境内社の祠がある。
『平成祭データ』には摂末社として以下の名が記されている。
天照皇大神社、八幡神社、市杵島姫神社、弁財天神社、稲荷神社。

社殿の屋根には、御神紋の桐紋が付けられている。


境内

鳥居

拝殿

拝殿

本殿

本殿

本殿隅の井戸?

力石

蓬山の庭

境内社

蓬山の庭

嶋子が神女に誘われて水之江里より海の彼方の蓬山に 渡る物語を、丹後国風土記逸文は次のように記している。
「その地は玉を敷けるが如く 闕壹奄映しく樓壹玲瓏けり 目にも見ざりし所 耳にも聞かざりし所なり」云々
これは「とこよ」の有様を記したものだが、その他に 「蓬山」「神仙」「仙都」と書いて「とこよ」と読ませ、 日本書紀、浦嶋口伝説では「蓬莱山」を「とこよ」、 万葉集では「常世」を「とこよ」としている。
これは、古代中国の神仙思想の影響を強く受けた ものであり、この庭はこれら文献及び浦嶋明神絵巻(重文)に もとづいてつくられた。

−境内案内板−



浦嶋神社(宇良神社)

浦嶋神社は延喜式神名帳所載によると『宇良神社』と記されている。創祀年代は淳和天皇の天長二年(八二五)浦嶋子を筒川大明神として祀る。浦嶋子は日下部首等の祖先に当り日下部については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部、日下部宿禰同祖、彦坐命之後也」とみえる。彦坐命は開化天皇の後裔氏族である。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有余年を経て五十三代淳和天皇の天長二年(八二五)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け小野篁は勅使として、勅宣をのべたうえ小野篁は勅命をうけたまわって宮殿を御造営し、ここに筒川大明神が鎮座されたのである。
この神社に伝わる浦嶋物語は起源が最も古く、すでに八世紀にできた丹後風土記・日本書記・万葉集などに記載されている。このような浦嶋子の伝説は、その後長く伝えられ『本朝神仙伝』や『扶桑略記』の雄略天皇記等、平安時代の文献にも収められている。又、この神社に伝わるものとして『浦嶋子口伝記』『續浦嶋子伝記』があり『續浦嶋子伝記』の巻首には「承平二年(九三二)壬辰四月廿二日甲戌、於勘解由曹局江之、坂上家高明耳」伝記と漢詞との間に「干時延喜二十年庚辰臈一作八月朔日也」、巻末に、「永仁二年甲午八月廿四日、於丹州筒河庄福田村宝蓮寺如法道場、依難背芳命、不顧筆跡狼藉、馳紫毫了、」とある。これは、延喜二十年(九二〇)の制作で、承平二年(九三二)に注を付したこと、さらに、永仁二年(一二九四)に浦嶋子物語の発祥の地丹後国筒河庄の福田村にある宝蓮寺如法道場で書写した本が底本に用いられていることが判る。この永仁二年書写本は現存している。これらの古伝説は近世のお伽草紙の浦嶋太郎の物語とは様相を異にしている。又、古代より浦嶋神社に対して崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。

−『平成祭データ』−



【 宇良神社 浦嶋神社 浦島神社(印刷用ページ) 】

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