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高良大社
こうらたいしゃ
福岡県久留米市御井町


車道の途中にある二之鳥居から表参道が続く。
参道には、背比べ石、馬蹄石などの史跡が点在。
背比べ石は、神功皇后が朝鮮半島への出兵前に、この石と背を比べて吉凶を占ったという。
それにしては背が低すぎる。昔はもっと露出していたのだろう。
馬蹄石は、高良の神が神馬の蹄跡を残された岩で、
列石である神籠石(八葉石)の起点・終点の神籠石でもある。

参道途中には、式内・伊勢天照御祖神社がある。


表参道入口の二之鳥居

背比べ石

馬蹄石(神籠石)

馬蹄石(神籠石)

伊勢天照御祖神社(天照大神)

左右は八幡宮と天満宮

式内伊勢天照御祖神社
御祭神天照大神
御由緒 「延喜式神名帳」所載、筑後国大小四座の うちの一社で、いわゆる「式内」の古社で ある。天慶七年(九四四)の『筑後国内神 名帳』には、「正五位下伊勢天照名神」と も見える。伝えるところによれば、桓武天 皇の延暦三年(七八四)九月、国司藤原易 興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山 田、現伊勢市)より遷座、神貢五十七束が 奉られたという。即ち筑後における最も由 緒正しい皇大神宮(内宮)の分祀である。 建仁元年(一二〇一)の文書には、単に「伊 勢社」とあり、室町時代末の『高良社画縁 起』では、山麓大鳥居の北(現御井小学校 正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれてい るが、明和四年(一七六七)の府中大火を 機として、現在地に遷座された。同年以降 、毎年七月二十三・四の両日には「灯篭賑 」が行われ、参詣者が群集したという。左 右の境内社(八幡宮・天満宮)も、古くか ら山内に祀られていたものを、ここの遷し たのである。
御祭日十一月十三日(摂末社例祭)
高 良 大 社

−案内板−



車道を進み、三之鳥居を行き過ぎて、耳納方面へ向かう途中。
高良山山頂近くに、奥宮・水分神社(水分神)がある。
車道からつづく参道は、木々におおわれた神域。
200mほどで、社殿に到着。
夏だけど、ここはひんやりとした空気だ。


奥宮参道入口

参道の鳥居

奥宮(水分神社)

奥宮(水分神社)

奥宮

奥宮

奥宮から参道


高良大社奥宮(奥の院)
 古くは「高良廟」「御神廟」と称し、高良の神 である武内宿祢の葬所と伝えられていた。高良山 信仰の原点ともいうべき聖地である。付近の地名 を「別墅(所)」といい、白鳳七年(六七八)開 山隆慶上人が、毘沙門天(高良の神の本地)を感 見して毘沙門堂を建て、天竺国無熱池の水の法力 で招き寄せたのが、この清水であるという。
 鎌倉時代の貞永元年(一二三二)には、惣地頭 代刑部丞中原為則なる者が、五重の石塔をここに 造立供養したというが、現存しない。次いで南北 朝時代には、征西将軍宮懐良親王の御在所となっ たとの説もある。
 中世末の記録によれば、ここには戒壇が設けら れていたとある。恐らく現存の石積の壇を指すの であろう。壇上には室町時代の石造宝塔が立つ。
 江戸時代の中頃、山中の極楽寺を再興した僧即 心は、晩年ここに籠って念仏修行したという。
 明治初年の神仏分離により、毘沙門堂は「水分 神社」と改められたが、「あらゆる願い事を叶え てくださる神様」として、高良大社の数ある末社 の中でも、今日特に厚い信仰を集めている。
高 良 大 社 社 務 所

−案内板−



【 高良大社 その2 】

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