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伊豆田神社
いづたじんじゃ
高知県土佐清水市下ノ加江字西高知山  Zenrin Data Com Maps display !!


瘠三柏

式内社 土佐國幡多郡 伊豆多神社
旧無格社

御祭神
伊豆那津彦命 伊豆那津姫命
玉石二枚ヲ以テ神体トス

足摺岬で有名な土佐清水市にある。
高知からの行程は、国道56号線をひたすら西行120Kmで四万十市へ。
国道321号線へ入り、四万十川を下り、足摺岬方面へ。
伊豆田トンネルを抜けた地点から、三原村へ抜ける狭い道を進む。
途中、さらに狭い未舗装の道路へ侵入し約800m北上した山中。
軽トラックなら走行可能な道なので、少し広い所で車を止め、歩く。
標識や社号標など一切無い。

鳥居を抜けると、木々の鬱蒼とした林の中に参道があり、
小川にかかった石橋から、傾斜の急な石段の上に拝殿がある。
苔むした階段は、斜めになっており注意しないと落ちる。
石段上も非常に狭く、参拝中も落ちそうになる。

無格社で、ちいさな神社だが、樹木鬱蒼とした神域。
木漏れ日にすら恵みを感じてしまう。そんな神社。

社殿内の幕に、柏紋があった。
これが神紋か、あるいは山内氏の紋を使っているだけなのか不明。

参拝中、1台の軽トラックが参道へ入ってきた。
年配の御夫婦らしき方が箒を持って降りてこられ、
参道・石段を掃除しておられた。拝殿内にもお供え物があった。
付近に人家もない場所だが、こうして奉仕しておられる方々がいるのだ。

こういう神社が、オススメなのだが、実はあまり行って欲しくないのだ。

創祀年代は不詳。
式内社・伊豆多神社に比定され、明治元年に伊豆田神社と改称。
「伊豆多」は「出湯田」、水の湧き出る場所という意味らしいが、
中世以降は、伊津多大明神、伊都多大明神と呼ばれていた。
本当は、「イツタ」なのかもしれない。

明治初年無格社とされてしまい、
村民が不服として県社昇格を願い出たが叶わなかった。

『式内社調査報告』には、境内社として三島社があり、
白皇神社(大己貴命)を合祀していると記されている。
社殿内に、神棚のようなものがあったが、これが三島社だろうか。

急な石段上は狭く、社殿前も狭い。
拝する時に注意しないと落ちそうになる。
下りには特に注意が必要。

でも、そんな石段の上にも社殿があり手入れもされているのだ。


参道

鳥居

鳥居額

石橋

石橋

急な参道階段

階段上に社殿

社殿

社殿内部

境内社 三島社か?

 社名の伊豆多は伊豆田でイデユタ(出湯田)。冷水の湧き 水も意味していた。付近部落の市ノ瀬の市(イチ)が湯地(ユチ)の変化し たもの。また市野々・総長市などの地名は伊豆田神社の祭 事に市をなした名残とも見られている。
 神社明細帳に、下茅村一曰成川村伊豆田大明神ハ小社廿一社ノ内、 右勧請年歴不相知」とし勧請年月縁起沿革など未詳とあるが、和名抄の鯨野郷にある以上、 この地方一帯の有力者とつながりがあったことは確かなところで、今日、 広く崇敬され、総氏神である。
 長曽我部元親が「以布利越(いふりごえ)に還り、下茅を過ぎて、 伊豆田神社は、當國廿一社の一つなればとて、立寄らせらる」とは 『土佐物語』の語るところである。

−『式内社調査報告』−



【 伊豆田神社 】

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