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王子宮
おうじぐう
高知県安芸郡芸西村和食字馬上土居  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 土佐國安藝郡 坂本神社

御祭神
不明、五男三女神

高知市から55号線を東へ15Kmほど。安芸郡芸西村、和食にある。
55号線から和食川沿いに2Km北上し、田畑の小道を東へ歩く。
しばらく歩くと集落があり、その中に小祠がある。鳥居には王子宮。
非常に狭い境内で、知らないと見過ごしてしまうような社だった。

近所の犬が、さかんに吠えるのを我慢しながら参拝した。

創祀年代、由緒は不詳。

江戸末期、当社を式内社・坂本神社とする説があったようだが、
「式内社調査報告」では参考としてあげ、
式内社としては否定的だ。

55号線から北上するが、地図とは少し道が違っており、
なんども車を路地に入れ、周回するがわからず。
車を止め、ウロウロと歩き回ってやっと発見した。
あまりに寂しい社だったので、自信がなかったが、
式内社調査報告にも同様の社の写真が掲載されている。

一段高い所にある拝殿後方、柵の中に社殿がある。
境内は狭いが、左手には末社もある。地形的には「坂本」だが。


拝殿

拝殿

境内

鳥居扁額

本殿

境内社

 江戸未期、安政三年(一八五六)和食郷の金岡山宇佐八幡 宮(この境内神社に坂本神社があると云はれる)に隣接する権 現社を改築する際、社殿の横梁に「奉造立坂本権現慶長十 三歳(一六○八)孟夏吉日大工小助」なる墨書銘が発見され た。籐原益躬は (1) 坂本神社は多気神社の必西なる筈だが、 金岡山はその方上にある (2) 権現は単に神社への尊称で、 坂本神を坂本権現と云ひ、後には坂本の名も失ひ来つた。  (3) その鎮座地は和食郷だが、布師郷と思はれる。布師郷は 後世忘れられたが、土佐郡潮江村壽命院蔵般若経の奥書に 「安芸庄布師郷井ノロ村云云」とあり、井ノロ村は現存す る。その井口村から西金岡山辺りまで古の布師郷で、そこ は布師氏の領地で (4) 金岡山の辺にタフシヤシキと云ふ所 がある。此は元はヌノシヤシキと呼び、布師氏の舘のこと で、布をタフ(楮で織れる布)と誤つた (5) 布師氏も坂本氏 と同族だから、祖神葛木襲津彦命を祭る (6) 坂本神社は坂 本氏の祖神であるから称し奉つるのでなく、坂本とは「山 坂ありて其麓を坂本といふこと常にあれば」単なる地名に 過ぎないと、手きびしい。
 発見者の和食神主松本越前純明はこのことを藩庁に届 け、藩庁はこの権現社を延喜式内社「坂本神社」なりと認 めた。しかし、明治五年に郷社とされた。
 この権現社は、安芸郡芸西町和食字馬上土居にあり、王 子宮と思はれるが、王子宮は熊野王子権現であるから、こ れが式社であらうか。和食郷内にはこの外に王子とか権現 といふ地名も社名もない。位置からは、坂の本に鎮座され ているが、一棟でわぴしい宮居である。論社としては別に 掲げない

−『式内社調査報告』−



【 王子宮 (芸西村) 】

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