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御杖神社
みつえじんじゃ
奈良県宇陀郡御杖村神末1020  Zenrin Data Com Maps display !!


八丁子

式内社 大和國宇陀郡 御杖神社
旧郷社

御祭神
久那斗神 八衢比古神 八衢比女神

奈良県の御杖村にある。
JR桜井駅の東40Kmほどだが、三重県との県境近くにあり
三重県の名松線・伊勢奥津駅の西10Kmの位置。
369号線から神末川沿いに少し南下した場所に境内がある。

参拝は、遥か昔なので境内の様子を詳しく覚えていないので
境内の向きも忘れてしまった。
ただ、高く聳える木々の間にシンプルな石鳥居が立っており
清浄な砂利の境内は覚えている。

社殿は入母屋造の拝殿と、拝殿の後方に一段高く神明造の本殿。
本殿の垣の前、幣殿の左右に二本ずつの灯籠が立っており
「九頭大明神御宝前」「牛頭天王御宝前」と刻まれていた。

創祀年代は不詳。

垂仁天皇の御代、皇女倭姫命
天照皇大神の御杖代として諸国を巡幸なされた時、
その神輿を止めたところと伝えられる式内古社。

明治維新まで、当神末村から年々五石五斗ずつの貢米を
伊勢神宮に奉納していたという。

俗に葛明神とも称し、国津大明神、九頭大明神、
あるいは牛頭天王社、牛霊天王社などとも称された神社。

また、上宮・下宮と分かれていて
上宮に国津大明神、下宮に牛頭天王が祀られていたとも。

明治六年郷社に列した。

境内社には以下の神社が祀られている。
木花佐久夜毘女神社(木花開耶姫命)、
龍田神社(志那都比古神志那都比女神)、
藪中神社(久延毘古命)、愛宕神社(迦具土命)、秋葉神社(迦具土命)、
金刀毘羅神社(大物主命)、稲荷神社(大田命)。

『式内社調査報告』によると、
本殿の左右に八幡神社(誉田別命大山祇神)と
道主貴神社(市杵島姫命大国主命)が祀られているらしい。

『平成祭データ』には、須佐之男神社の名も載っていたが
これは牛頭天王のことだと思うが確認していない。

『式内社調査報告』には、素盞鳴神社
須佐之男命稲田姫命大己貴命少彦名命)、
八柱神社(五男三女神)が本殿に合祀されているとある。

社殿には八辨の菊紋のようなものが付けられていたので
当社の神紋は菊紋だと思っていたが、
『全国神社名鑑』には「八つ丁字」と書かれていた。
文様は大根の形に似ている丁子(ちょうじ)紋のことだろう。
丁子の実は平安時代に珍重された香料で
モルッカ諸島などからの輸入品なのだそうだ。


境内社殿

拝殿

境内社

本殿と灯籠

『式内社調査報告』によると、御杖村内には
倭姫命に関する伝承が多く残されているらしい。

紅石 大字神末小屋神社の紅石。
倭姫命が賊に追われた時、紅・白粉を捨てられたので、石が紅に染った。
また、倭姫命が賊の目をくらますために髪を切り落され、
男装されたので落髪と、「やれやれ楽になった」と云われて
道端にあった石に腰をかけられたので楽石とも称せられる石が大洞山中にある。

月見岩(観月岩) 敷津七不思議の一つ。
倭姫命が、この岩に登って仲秋の名月を観賞されたと伝えられる。

姫石明神 七不思議の一つ。
奮伊勢本街道に沿った岩阪峠の山頂の南方の下にある岩磐にあいた女陰形の穴。
倭姫命が婦人病の平癒を祈られた所から姫石と云われるようになった。

腰かけ石 敷津の伊勢街道沿いにある
高さ三〇センチメートル・巾八〇センチメートル・広さ一メートル余の石で
倭姫命が腰をかけられた石という。

宮熊田九日田 敷津にあって倭姫命の遺跡と伝えられる。

手洗井 敷津の名所の一つ。
倭姫命が手洗の水を汲まれた井戸。

駒つなぎの杉 (御代杉・一本杉とも云ふ)大字菅野の西にある。
倭姫命が天照大神を奉じ笠縫宮より伊勢の五十鈴川上に遷れる時、
この杉の木に駒を繋いで、大照大神を鎮座していただく地を探している間、
馬が引っぱったので杉の幹が少しまがったと云う。
倭姫命はこの時に不動瀧まで行かれたが海がなかったので
御鎮座の地と定められなかった。

駒山 大字菅野字駒厩
倭姫命が駒を入られたと云ふ厩の形した礫石があり
これを馬小屋のあとであるといひそこを駒山とも称している。

菅野 大字菅野にある四柱神社の井戸は、
倭姫命が手洗の水を汲まれた井戸と伝え、
その時、口をすすがれて「すがすがしい野原だ」と云はれたので
「菅野」の地名が付けられたという。


【 御杖神社 (御杖村)(印刷用ページ) 】

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