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素盞雄神社
すさのおじんじゃ
奈良県桜井市大字初瀬字与喜下79  Zenrin Data Com Maps display !!


祇園守


御祭神
素盞雄命

合祀 式内社 大和國城上郡 堝倉神社 鍋倉神社 大倉比賣命

奈良県桜井市にある。
近鉄大阪線・長谷寺駅の北東1Kmの初瀬に鎮座。
165号線から長谷寺への参道へ入り、
長谷寺入口を過ぎた辺りにある、橋を越えて東へ。
ちょっと登ると、北へ入る当社参道がある。

境内に入ると、左手に大きなイチョウが聳えている。
樹高40mで、県の天然記念物らしいが、
秋には、境内が一面の黄色に染まりそうだ。
が、参拝が冬なので葉が落ちており、
案内板の解説でイチョウだと知った。

川の側にあるためか、冬の境内は、風が吹きぬけて寒い。
時折、雲間から射し込む陽射しがありがたい。そんな境内。

ところが、拝殿の裏側に回ると、鮮やかな朱の本殿。
良い意味で期待を裏切る神社だと思う。
多分、四季によって表情がまったく違うはず。

社伝によると、天暦年間に與喜天満宮が創建される時、
與喜山は天照大神が降臨した地と考え、
その麓に、弟神である素盞嗚尊を祀ったのが創祀。

後、祇園信仰の高まりによって、宮寺も置かれ、
牛頭天王を祀る寺として、「ごってらさん」と親しまれた神社。

明治41年に、與喜天満宮境内にあった鍋倉神社を合祀。
與喜山山頂に鎮座していたといわれる、式内社・堝倉神社。

だが、近世には、当社・素盞雄神社が式内社・堝倉神社だと考えられており、
明治になって当社が素盞雄神社となった時期に
大倉比賣命を祀る鍋倉神社を、與喜天満宮境内へ遷したという説もある。
つまり、與喜天満宮から戻ってきたということ。

社殿の屋根には、祇園守の紋が付けられていた。
祇園守は、牛頭天王を祀る八坂神社の護符を象った紋。
当社の祇園信仰の表れの一つ。
撮影してきた写真を見ながら、シコシコと新しい紋を作成するのは
面倒な作業だけど、新鮮で楽しいのだ。

境内の右手には、境内社・秋葉神社。
明治になって長谷寺から遷座し、境内社となった十二社に、
明治41年合祀した鍋倉神社の末社・秋葉社を合祀したもの。
ただし、『寺院神社大辞典』には、この祠が、
與喜天満宮から遷座した鍋倉神社であるかのように記述されている。


鳥居と社号標

境内のイチョウ

境内社・秋葉社

鎌倉期作の石造十三重塔

社殿

本殿

本殿

本殿

桜井市大字初瀬字与喜下鎮座
素盞雄神社
祭神  二座
素盞雄命(すさのおのみこと)
大倉比賣命(おゝくらひめのみこと)
末社  一社
祭神  二座
十二社明神
秋葉明神
由緒

 当社は 社伝によれば 今(平成三年)を去ること千四十三年の昔 天暦二年に神殿大夫武麿が管公(菅原道真)の霊をむかえて 與喜天満宮創建の時 與喜山(大泊瀬山 或ハ天神山)は天照大神降臨の山であり  その弟神 素盞雄命の霊を鎮めねばならないとして  この所に社殿を構えたのが始まりであるということであります
その後 全国的な祇園信仰の高まりとゝもに 疫病除けの神として 明治維新までは 廊土寺(或ハ序土寺)という宮寺も置かれていて 本地佛 牛頭天王(祇園精舎の守護神)から転訛した「ごつてらさん」の俗称で 人々に親まれ厚い信仰を集めてまいりました
明治四十一年には延喜式内社 鍋倉神社(祭神 大倉比賣命)も合祀され 地元川上区の産土神として今日に至って居ります 末社一宇は長谷寺境内(山門傍)より明治初年に十二社明神を 遷し 仝四十一年鍋倉神社遷座とゝもに その末社秋葉明神を 合祀したものであります

−境内案内板より−



【 素盞雄神社 (初瀬)(印刷用ページ) 】

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