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柿本人丸
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柿本人丸
かきのもとひとまろ

別名
柿本人麿:かきのもとひとまろ
柿本大夫人丸:かきのもとたゆうひとまろ
柿本朝臣人丸:かきのもとのあそんひとまろ
……
  • 玉津嶋神住吉神とともに和歌三神の一つ。

  • 奈良朝の歌人。和歌の守護神。 また、人円(ひとまどかなる)として安産の神。 また、火止(ひとまる)として火除けの神。

  • 『拾芥抄』にいう、柿本人麿は官位は見えない。天智の御時の人。または天智御宇以後の人か。

  • 『作者部類』にいう、柿本大夫人丸。大夫は五位以上の通称である。また『金玉集』の序には、正三位柿本人麿という。

  • 『本朝文粋』敦光の人丸の讃にいう、大夫、姓は柿本、名は人麿。上世の歌人である。 持統・文武の聖朝に仕え、新田(新田部)・高市王子に用いられた。

  • 『新撰姓氏録』にいう、柿本朝臣人丸は天足彦国押人命(第五代天皇・孝昭天皇の第一皇子)の後裔である。 家の門に柿の木があったので柿本氏とする。

  • 『羅山文集』にいう。従三位柿本朝臣人麿は、持統・文武に仕えた。 あるいは近江の旧都を過り、あるいは吉野の行幸に従い、あるいは雷岳の御遊に侍って歌を詠んだ。 草壁太子、明日香公主(天智天皇の皇女で忍壁皇子の妃)が薨じた時、人麿が挽歌を作って哭した。 紀州・讃州・筑紫を経歴し詠歌が多い。妻を依羅娘子(よさみのおとめ)という。

  • 思うに、人丸は石見国の人で、持統・文武の両朝に仕え、新田(部)・高市皇子に用いられた。 古今独歩の歌仙である。しかるに爵禄も貴くなく、政務にも預らなかったため、系伝を詳らかにしないのか。 聖武天皇の神亀元年(724)三月十八目石見国に卒した。三位は恐らく贈爵であろう。 曙明赤石浦(の朝ぎりにしまがくれゆく船をしぞ思ふ)の詠歌は最も秀逸なので、 後人が明石浦に祠を建てた。

  • 大和葛下郡柿本村、同添上郡春道森に人丸の墓がある。


    春道森(奈良県天理市櫟本町)にある
    柿本寺跡と柿本人麿の遺骨を葬った歌塚


  • 言い伝えによれば、藤原兼房は夢で人麿に遇った。 烏帽子・直衣・紅袴を着て、左手に紙を持ち右手に筆を握って、梅花の下に立っており、 年は六十余くらいであった。覚めると画工にその肖影を面かしめ珍蔵していた。 白川上皇に献じ、鳥羽の宝庫に納められた。今の世に、画かれる人丸の画像は全でこれに拠る。

柿本人丸 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)

下立松原神社千葉県南房総市白浜町滝口1728
足羽神社福井県福井市足羽1−8−25
藤崎八旛宮 境内 人丸社熊本県熊本市中央区井川淵町
物部神社 境内 柿木神社島根県大田市川合町川合1545
赤城神社群馬県前橋市富士見町赤城山4−2
伊奈波神社 境内 和歌三神社岐阜県岐阜市伊奈波通1−1
鹿嶋神社遥拝殿栃木県佐野市戸奈良町2117
穂高神社本宮 境内 歌神社長野県安曇野市穂高6079
赤田神社山口県山口市吉敷780
住吉神社 境内 人丸神社福岡県福岡市博多区住吉3−1−51
生田神社 境内 人丸神社兵庫県神戸市中央区下山手通1−2−1
和爾下神社 境内 歌塚奈良県天理市櫟本町櫟本字宮山2490
伊佐和神社三重県松阪市射和町1073

【 柿本人丸:玄松子の祭神記 】

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