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小野神社
おのじんじゃ
広島県府中市元町313
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境内社 備後國総社 |
広島県府中市にある。
JR府中駅から北東に1Kmほどの元町の丘の上に鎮座。
階段上の境内には、多くの境内社が並んでおり、
備後国総社もその中にある。
境内は非常に綺麗に整備されている印象。
非常に明るくて、境内から見下ろす府中の町も明るい。
創祀年代は不詳。
『水野記』によると、承和六年(839)、小野恒河が京都より当地に来り、
当社を崇敬したという。
伝承として、
昔、伊勢国の軍兵が出口村の八尾城を攻めて敗れ、
守護神の神璽を捨て置いて逃げた。
それを村人が「小屋」に祀ったのが、小屋(小野)神社の初めだという。
通称、小屋神社、元町の産土神である。
祭神・押媛命は、第六代孝安天皇妃で、第七代孝霊天皇の母。
吉備武彦命は、吉備津彦命の弟稚武彦命の孫で、吉備国惣領。
もともとは総社の社地であったのだが、
1688年、小野神社を当地へ遷したという。
小野神社の旧社地は、銀山路より東北の間平地で、民家の裏という。
本社と境内社がズラッと並んだ境内の後方に小さな公園がある、
その公園の西側、当社本殿の後方の上に、石碑と小さな祠が祀られていた。
石碑には、「五ヶ村用水路潜樋」とあり、
善行寺を開基された念西上人が農民たちと協力して用水路を完成。
その用水路の蓋石で石碑を作ったと説明がある。
当社とは関係ないのだろうが、町を見下ろすこの場所というところに、
住民の感謝の気持ちの深さを感じた。
入口から階段が丘の上に続いている。
階段の途中に鳥居があり、さらに階段を上ると境内。
濃い褐色の社殿が、清潔な境内によく映える。
本社の右横に境内社が並んでいる。
左から、総社神社、総荒神社、熊野神社。
小祠の天神社と白髪稲荷神社。
さらに、金盛稲荷神社、砂留荒神社、艮神社。
資料には高靇神社というのもあるらしい。
ひょっとすると、後方の石祠がそれだろうか。
境内入口 |
参道階段途中に鳥居 | 神門 |
社殿 |
木野宮神社遥拝所 | 本殿 | 上から本殿 |
拝殿 | 境内右手に境内社 一番手前が総社神社 |
備後国総社神社 | 総荒神社 | 熊野神社 |
天神社・白鬚神社 | 金盛稲荷神社 |
砂留荒神社 | 艮神社 |
境内の後方上にある石碑と祠 | 府中の町を見下ろす境内 |
昭和初期に、氏子によって社殿を再建。
氏子等が一人一日一銭の貯金を三年間励行してというのが、
よいですねぇ。
『水野記』によると、承和六年(八三九)小野恒河が京都より当地に来り、
当神社を崇敬したという。現在の鎮座地はもと備後国の総社の社地であるといい、
現在も境内末社に備後国総社を祀る。貞享五年(一六八八)胡屋橘高市左衛門忠重が
願主となって現在地に社殿を造営して遷座した。『福山志料』によると小野神社の旧鎮座地は、
銀山路より東北の間平地にして民家の裏にありと記されている。昭和初期には社殿が老朽化し、
氏子等が一人一日一銭の貯金を三年間励行して昭和九年に現在の本殿を再建した。
−『平成祭データ』− |